祭神・信仰
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「豊受姫命」および「稲荷神」も参照 ・豊受姫命 - 「穴守大神」「穴守稲荷大神」とも称される。 祭神が、稲荷神である上に、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受姫命であることから、五穀豊穣・大漁満足・商売繁昌・各種安全祈願・災難除・開運招福・必勝祈願・心願成就・芸能上達・病気平癒など幅広いご利益があり、そのご利益の強さから、伯爵の東久世通禧によって、 「ねがひごと かならずかなふ 穴守の いなりの神よ いかに尊き」 という和歌も詠まれた。また、古くから伝わる羽田節の一節にも 「羽田ではやる お穴さま 朝参り 晩には 利益授かる」 と謡われている。 東京や横浜、川崎の産業界・芸能界を中心に、在外邦人も含めて各地に崇敬者を有し、場所柄ゆえ空港関係者の信仰も篤い。また、後述の神砂信仰や霊水信仰、俗説ではあるが「穴守」という名前から、「『穴』を『(性病から)守る』」に通じると考えられて、江戸時代より花柳界や女性病に悩む人々の信仰を集めたり、「大『穴』」を願ってのものか、競馬・競輪・宝くじなどのファンからの信仰も集めるなど、様々な特殊信仰も有する。 祭神についての奉納歌いなりといふは稲生(いねなり)と、いふ意(こころ)なりかみの御代(みよ)、 食(たべ)もの衣物(きもの)すむいへの、元(もと)を生(う)みなし給(たま)ひにし、 神(かみ)にまします其御名(そのみな)は、倉稲(うか)の御魂(みたま)やとゆけ姫(ひめ)、 おほ宜都比売(げつひめ)や保食(うけもち)の、神(かみ)としかみと仰(あふ)ぐなり、 わきて登由祁(とゆけ)の大神(おほかみ)は、雄略(ゆうりゃく)ていのおほ御代(みよ)に、 伊勢(いせ)にましますあま照(てらす)、すめおほかみの御誨(みさとし)に、 依(より)て丹波(たには)の真名井(まなゐ)より、いでまさしめて百伝(ももつた)ふ、 度会(わたらひ)ごほりあし引(ひ)きの、山田(やまだ)の原(はら)にみやばしら、 太敷(ひとしき)建(た)ててあめつちの、むた永久(とこしへ)に世(よ)のひとを、 めぐみたまふぞ有難(ありがた)き、 神風(かみかぜ)や伊勢(いせ)のうちのと大宮(おほみや)の ちぎはみ空(そら)に聳(そび)えぬるかな — 詠み人知らず 明治37年刊『穴守稲荷神社縁起』より
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祭神・信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 00:24 UTC 版)
豊受姫命 稲荷神社の為に、倉稲魂命が祭神であると誤認されている場合があるが、祭神が豊受姫命である穴守稲荷神社から勧請した経緯や当時の新聞記事などからも誤りである。 なお、天照大御神・明治天皇・乃木希典を増祀し、社名も台北神社に改めて、台北市の総氏神とする計画があり、実際に社掌や氏子総代の連名で、1926年(大正15年)12月20日に台北市を経て台湾総督に申請が出された。その後、改称や増祀された資料がなく、台湾神社の存在などから実現しなかったと見られる。ただ、例祭をはじめとした各種祭典や行事には、台北庁などの官公庁関係者が出席し、台北市の火事除祈祷も台北稲荷で行われるなどしていた。 同じ台北市内でも郊外にあった台湾神宮と比べると、市街地にある日本人(内地人)向け繫華街の西門市場に隣接しており、日本人を中心とした台北市民から広く信仰を集めていた。その立地条件の良さから、台湾神社や伊勢神宮の大麻暦の頒布事業も台北稲荷神社で行われていた。
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