粟嶋神社 (海南市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/16 08:22 UTC 版)
粟嶋神社(あわしまじんじゃ)は、和歌山県海南市下津町方に鎮座する神社。
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- ^ a b 丸山顕徳「淡島神社」(白水社『日本の神々』所収)。
- ^ 『下津町史』。
- ^ 『万葉集』巻第7に収める「潮満たば いかにせむとか方便海(わたつみ)の神が手渡る海部未通女(あまおとめ)ども」(国歌大観番号1216)は当時の様を詠ったものと伝える(『県神社誌』)。
- ^ 社前を通る山麓の古道沿いに「幣使隈(へいしのくま)」という飛び地境内地があり、これがその折の古跡であるという。
- ^ 浜中(仲)荘は下津町一帯に設置されていた荘園。本家は近衛家。
- ^ 『県神社誌』。
- ^ 米水津村との関係は南北朝時代にまで遡り、佐伯市米水津小浦に鎮座する旧郷社粟嶋神社は、正平(貞治)年間(14世紀中葉)に懐良親王の西国下向に際して海難に遭遇、当神社に祈願して無事に米水津に着岸することができたために、報賽として当神社を勧請、創祀したものという。
- ^ 詳しくは、字硯の浜宮社、字姫ノ淵の弁才天社、字宮川の道祖神社、字北原の牛神社と恵比須神社である(『下津町史』)。
- ^ 但し2家は断絶し、現在は19家となった由。
- ^ 竹中康彦「浜仲荘」及び「浜仲荘を歩く」(『きのくに〔荘園の世界〕』下所収)。竹中によると、永仁6年(1298年)の「浜中南庄惣田数注進状写」(「金剛心院文書」所収)にみえる「方堂」がそれではないかという。
- ^ 蛭子神社と八幡神社は近世には脇社として既に存在していた(『南紀神社録』『紀伊続風土記』)。
- ^ 因みに、脇社の浜ノ宮神社の旧鎮座地である字硯には「硯井」という井があり、『紀伊名所図会』には方3尺(およそ1メートル四方)の小井であるが冬夏増減なく、弘法大師(空海)が硯の水として使ったとの伝えを記している。硯浦にはこの故事にちなむ硯姓を名乗る人が非常に多い。
- ^ 平成2年(1990年)10月設置の下津町・淡嶋神社共同名義による現地説明板。
[続きの解説]
「粟嶋神社 (海南市)」の続きの解説一覧
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- 2 粟嶋神社 (海南市)の概要
- 3 社殿
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