目撃例、探検隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 07:19 UTC 版)
「モケーレ・ムベンベ」の記事における「目撃例、探検隊」の解説
モケーレ・ムベンベについての言い伝えや目撃情報の多くは、探検家・研究者などによって収集されたものである。そのうちのいくつかを紹介する。 ロイ・マッカル シカゴ大学の生化学者ロイ・マッカル(英語版)が、伝聞を著書で紹介したケース1776年 アフリカ中央部でフランス人宣教師らが3本爪の足跡を目撃したことについて書き残している。そのうちの1人は川で植物を食べている未知の生物を目撃し、明らかに既知の生物ではないと書いている。 これが、文献に残っている最も古い報告であるという。 1913年 ドイツ政府からカメルーンに送られた探検隊によって、最初にモケーレ・ムベンベという名前が広く紹介された。彼らはカメルーンの現地民から、カバないしゾウの大きさ、首と尾が長く、植物食、丸い足跡など、ほぼ現在伝わるのと同じ生物について情報を聞き出した。 1920年 アメリカ、スミソニアン博物館の探検隊が足跡を目撃し、声を聞いたという。 1932年 イギリス人科学者、別グループのアメリカの未確認生物研究家がそれぞれ足跡を目撃し、声を聞いたという。 マッカル本人の調査 マッカル自身は、1980年、1981年、1983年と、3回に渡ってリクアラ地方の湖沼の調査を行っている。これらの調査では不鮮明なゾウのような足跡、水際の獣道の発見のみで、未確認生物を目撃することはできなかったが、現地民への聞き取り調査に多くの時間を費やした。例えば、彼の調査で、1959年にテレ湖周辺のピグミーの部族が2頭のモケーレ・ムベンベを目撃、うち1頭を槍で仕留めたという話が得られた。しかしその肉を食べた村人はみな謎の死を遂げたという。「衛生環境による食中毒」なのか、あるいは「肉に毒性がある」のか、と推測している。 マルセリン・アニャーニャ コンゴ共和国ブラザビル動物園の生物学者マルセリン・アニャーニャ (Marcellin Agnagna) は、マッカルの1981年の調査行に同行し、その後は自身でも調査隊を組織し、テレ湖周辺を探索している。1983年の探検では、テレ湖の水面から首と背中を出して移動するところを、200m以上先から目撃に成功したと発表した。ただし数十人の調査隊員のうち、目撃したのはアニャーニャ本人のみで、ちょうどカメラのレンズのカバーをはずすのを忘れており、写真には何も写っていなかった。 ロリー・ニュージェント 探検家、ジャーナリストのロリー・ニュージェント(英語版) は、1985年にテレ湖で単身の調査行を行い、水中から首を出す生物らしき写真を撮影した。 ビル・ギボンス ビル・ギボンス (William T. Gibbons) は、1985年から1986年にかけて、1992年、1997年と調査隊を組織し、湖を中心に多くの科学機器を用いて調査を行ったが、目撃することはできていない。1992年のギボンスの調査にはニュージェントも同行し、テレ湖周辺の未調査の湖の探索を行ったがこのときには目撃することはできなかった。また、ギボンスは2000年、2001年にカメルーンの調査も行っている。 早稲田大学探検部 1988年、高野秀行率いる日本の早稲田大学探検部、および駒澤大学探検部OBの野々山富雄、高林篤治等がテレ湖の調査を行った。これにはアニャーニャが同行。テレ湖の水深が極めて浅く(平均約2m)、巨大な生物であれば常に隠れてはいられないであろうこと、テレ湖と周囲の川との間の水路(現地語でモリボと呼ぶ。水深1mほど)は、巨大な生物が移動するには細すぎることなどを報告した。そして探検部は約40日間湖面を監視したが、モケーレ・ムベンベらしきものは一切目撃できず、湖周辺にも痕跡は一切発見できなかった。 TBS取材チーム 1992年、日本のTV取材班がテレ湖の調査・撮影を行った。取材チームがボートの上からの写真撮影に成功したとされる。ぶれた不鮮明な映像で、水面に何か黒い細長い影が写っている映像が公開された。(『THE・プレゼンター:アフリカ・コンゴ密林奥地にモケーレ・ムベンベは実在した!』、TBS、1992年10月25日放送(製作 株式会社ストリームズ))。これは動物でなく人間が漕ぐ丸太船の映像ではないかとの推論がある。
※この「目撃例、探検隊」の解説は、「モケーレ・ムベンベ」の解説の一部です。
「目撃例、探検隊」を含む「モケーレ・ムベンベ」の記事については、「モケーレ・ムベンベ」の概要を参照ください。
- 目撃例、探検隊のページへのリンク