疲労試験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:34 UTC 版)
「コメット連続墜落事故」の記事における「疲労試験」の解説
1954年4月、ファーンボロのRAE構内にコメットの機体が収まる巨大な水槽(幅7メートル・長さ34メートル・深さ5メートル)の建設が始まり、5月29日に完成した。6月初めから、事故機と同型であるコメットの実機(機体番号G-ALYU)を、エンジンと内装を全て取り外し、両翼を突き出す形でその水槽に沈め、加圧試験が開始された。この水槽は発想からわずか3週間で設置されたもので、従来行われていた圧搾空気による加圧試験よりも安全であり、かつ効率がよかったという。 水槽内・機内にも水を満たし、水を増減して加圧・減圧することで、1回の飛行で加わる荷重を再現することになった。疲労寿命は荷重の大きさと回数で決まり、荷重がかかる速度には影響しないため、試験設備では3時間の飛行に相当する荷重を、10分(水を5分おきに増減)で再現可能なように設計されたが、それでも1日150回程度の再現が限界であった。また当時はこの種の再現試験を自動的に制御・記録するコンピュータの類が存在せず、監視係や作業員を交代しながら、24時間毎日連続して試験が続けられた。 最長で5ヶ月かかる見込みだったが、試験開始後2週間半が経過した1954年6月24日、1830回目の加圧において、G-ALYUの機体客室窓の隅から亀裂が発生した。この亀裂は、急速に前後方向に進み、前後のフレーム(構造部材)に達すると、今度は上下方向、即ち、機体を輪切りにする方向へと進んでいった。 機体番号G-ALYUは試験前に1230回の飛行を行なっていたため、累計で3060回の飛行回数の後に致命的な亀裂が発生したことになるが、これは5万4000回までは耐えられるという予測とは大きくかけ離れた、短い疲労寿命であった。これほどまでに短い寿命であれば、南アフリカ航空201便(機体記号G-ALYY)が飛行回数900回で空中分解しても、もはや誤差の範疇であり、不思議ではないといえる。 試験開始前、メーカーの設計者や技術者は、この試験によってコメットの安全性が改めて証明されるとさえ考えていた。しかし、実験結果は開発時点の試験と大きくかけ離れたコメットの金属疲労の速さを明らかにしてしまった。しかも8月12日に回収された、機体記号G-ALYPの残骸のうち、胴体天井にあったADFアンテナ取り付けのための開口部の隅の亀裂(クラック)に、実際に疲労破壊の痕跡が発見されたことで、事故原因はやはり金属疲労による破壊の可能性が非常に高くなり、楽観的な事前予測は完全に打ち砕かれた。 なお、インドで空中分解した英国海外航空783便(G-ALYV)のコメット機についても金属疲労によって墜落したとの指摘があり、一連のコメット機の構造欠陥による墜落事故は「3回であった」とする場合もある。しかしながら、金属疲労の可能性で事故調査が行われなかったことや、悪天候と機体欠陥が複合した可能性もあるため、推測の域を出ることは無かった。このことから、以後の航空事故の調査ではあらゆる可能性も検討されるようになった。
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「疲労試験」の例文・使い方・用例・文例
- 疲労試験という材料試験
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