町名の沿革とは? わかりやすく解説

町名の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:19 UTC 版)

大須 (名古屋市)」の記事における「町名の沿革」の解説

1969年昭和44年10月21日 - 住居表示実施に伴い以下の通り中区大須一~四丁目成立一丁目 - 中区岩井町鶯谷町梅園町永楽町榎町常盤町西角町根津町東角町東洲崎町南園町役割町全域および吾妻町岩井通音羽町上日置町上堀川町栄一丁目・城代町天王町天王崎町富岡町西洲崎町花園町若松町の各一部 二丁目 - 中区白川町日出町全域および吾妻町岩井通音羽町金沢町栄二丁目・城代町末広町天王町富岡町花園町門前町若松町の各一部 三丁目 - 中区矢場町全域および岩井通裏門前町上前津町小林町・栄三丁目末広町南大津通三輪町門前町の各一部 四丁目 - 中区岩井通大池町上前津町小林町・栄三丁目西川端町三輪町南大津通南鍛冶屋町の各一部

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町名の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 13:45 UTC 版)

京都市上京区の町名」の記事における「町名の沿革」の解説

近世京都では、二条通以北上京以南下京称し上京には「上京十二組」「禁裏六丁組」、下京には「下京八組」という町組ちょうぐみ)が組織されていた。町組近隣の町連合体自治組織であり、その起源判然としないが、室町時代には存在確認される慶応4年1868年)、京都府成立とともに上京町組1 - 45番組編成されるが、翌明治2年1869年)には町組改正上京1 - 33番組再編成された。明治5年1872年)には上京1 - 33番組上京1 - 33区と改められ33区分される点は変わらないが、旧1番組3区になるなど、番号を振る順番変化している。明治12年1879年)、京都府上京区下京区設置されると、前述の「区」は、番号そのまま「組」改称上京1 - 33組となる。明治22年1889年)、京都市とともに上京区下京区京都市の区となる。なお、近世違い二条通ではなく三条通上京下京の境となっている。この間明治15年1882年)には上京12組が同11組に編入明治21年1888年)には同年上京区編入された旧愛宕郡村域上京34組が設定された。 明治25年1892年)には「組」を「学区」に改組。旧上京1 - 33組は、上京1 - 28学区編成された。2ないし3の組を統合して1つ学区とした例があるため、数は33から28減少している。このうち、第1 - 17学区がほぼ現在の上京区相当し、第18 - 26学区中京区一部27・28学区左京区一部にあたる。 昭和4年1929年)に上京区一部新設中京区東山区左京区分離された。同年学区名に小学校名を付して「成逸学区」「室町学区」のように称するうになる昭和16年1941年)の国民学校令発布とともに学区制廃止された。したがって、これらの学区は現在では正式の行政区域ではないが、「元学区」という形で、地域通称としては現在も使われている。なお、学校の統廃合等により、元学区現在の通学区とは一致していない。 下の表は、上述変遷をまとめたものである上京区元学区変遷 明治2年明治5年明治12年明治25年昭和4年上京2番組 上1区 上京1組 上京第1学区 成逸学区 上京6・713番組 上5・210区 上京5・210組 上第2学区 室町学区 上京1番組 上京3区 上京3組 上京第3学区 乾隆学区 上京5番組 上4区 上京4組 上京第4学区 西陣学区 上京3番組 上6区 上京6組 上京第5学区学区 上京4番組 上7区 上京7組 上京第6学区 嘉楽学区 上京11番組 上8区 上京8組 上京第7学区 学区 上京12番組 上9区 上京9組 上第8学区 小川学区 上京28・29番組 上京11・12上京11・12組 上京第9学区 京極学上京8・9番組 上京13・14上京13・14組 上京第10学区 仁和学区 上京10番組 上15区 上京15組 上京第11学区 正親学区 上京15番組 上16区 上京16組 上京第12学区 聚楽学区 上京16番組 上17区 上京17組 上京第13学区 中立学区 上京14番組 上18区 上京18組 上京第14学区 出水学区 上京17番組 上19区 上京19組 上京第15学区 待賢学区 上京18・19番組 上京20・21上京20・21組 上京第16学区 滋野学区 上京30番組 上22上京22組 上京第17学区 春日学区 区内の町名は、おおむね近世以来の町界・町名現代引き継いでいる。ただし、明治時代初期に数か町が合併して新たに命名された町、北野天神社領など、従来町名のなかった土地新たに起立した町名などもかなりの数が存在する京都御苑地域には「京都御苑」という町名付けられている。上京区の町としての京都御苑」は昭和35年1960年)に成立した区内の他の町は遅くとも明治時代初期には成立している。 区の北西部、旧翔学区区域は、大部分北野天神社領で、明治元年1868年)に上京編入されたものである。ただし、この地区町名大部分近世以来のものである。区の南西部仁和学区区域は、大部分が旧葛野郡聚楽西ノ京大将軍の各一部で、これらののうち早くから町地化していた区域明治元年上京編入されたものである。この地区町名大部分近世以来のものである

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町名の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 10:20 UTC 版)

名駅」の記事における「町名の沿革」の解説

1977年昭和52年10月23日 - 以下の通り中村区名駅一~五丁目および西区名駅一~三丁目成立中村区名駅一丁目 - 中村区鷹羽町全域および笹島町泥江町広井町広小路西通堀内町の各一部 中村区名駅二丁目 - 中村区小鳥町笹島町島崎町広井町の各一部 中村区名駅三丁目 - 中村区上笹島町全域および小鳥町米屋町笹島町志摩町島崎町泥江町広井町堀内町の各一部 中村区名駅四丁目 - 中村区小鳥町米屋町笹島町志摩町西柳町花車町東柳町泥江町広井町広小路西通堀内町の各一部 中村区名駅五丁目 - 中村区大船町小鳥町花車町東柳町広小路西通船入町の各一部 西区名駅一丁目 - 西区則武町牛島町の各一部 西区名駅二丁目 - 西区早苗町那古野町輪ノ内町の各一部 西区名駅三丁目 - 西区替地町那古野町の各一部 1978年昭和53年10月15日 - 中村区島崎町全域中村区名駅二丁目へ、西区早苗町全域および江西町菊井通那古野町西菊井町輪ノ内町の各一部西区名駅二丁目編入1981年昭和56年4月29日 - 西区則武町則武新町輪ノ内町の各一部西区名駅二丁目編入1981年8月23日 - 西区江西町菊井通西菊井町輪ノ内町の各一部西区名駅二丁目編入

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