町名の沿革
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1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示実施に伴い、以下の通り中区大須一~四丁目が成立。一丁目 - 中区岩井町・鶯谷町・梅園町・永楽町・榎町・常盤町・西角町・根津町・東角町・東洲崎町・南園町・役割町の全域および吾妻町・岩井通・音羽町・上日置町・上堀川町・栄一丁目・城代町・天王町・天王崎町・富岡町・西洲崎町・花園町・若松町の各一部 二丁目 - 中区白川町・日出町の全域および吾妻町・岩井通・音羽町・金沢町・栄二丁目・城代町・末広町・天王町・富岡町・花園町・門前町・若松町の各一部 三丁目 - 中区矢場町の全域および岩井通・裏門前町・上前津町・小林町・栄三丁目・末広町・南大津通・三輪町・門前町の各一部 四丁目 - 中区岩井通・大池町・上前津町・小林町・栄三丁目・西川端町・三輪町・南大津通・南鍛冶屋町の各一部
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町名の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 13:45 UTC 版)
近世の京都では、二条通以北を上京、以南を下京と称し、上京には「上京十二組」「禁裏六丁組」、下京には「下京八組」という町組(ちょうぐみ)が組織されていた。町組は近隣の町の連合体、自治組織であり、その起源は判然としないが、室町時代には存在が確認される。 慶応4年(1868年)、京都府の成立とともに、上京の町組は1 - 45番組に編成されるが、翌明治2年(1869年)には町組改正で上京1 - 33番組に再編成された。明治5年(1872年)には上京1 - 33番組が上京1 - 33区と改められ、33に区分される点は変わらないが、旧1番組が3区になるなど、番号を振る順番が変化している。明治12年(1879年)、京都府に上京区・下京区が設置されると、前述の「区」は、番号はそのままで「組」と改称、上京1 - 33組となる。明治22年(1889年)、京都市制とともに、上京区・下京区は京都市の区となる。なお、近世と違い、二条通ではなく三条通が上京・下京の境となっている。この間、明治15年(1882年)には上京12組が同11組に編入。明治21年(1888年)には同年上京区に編入された旧愛宕郡の村域に上京34組が設定された。 明治25年(1892年)には「組」を「学区」に改組。旧上京1 - 33組は、上京第1 - 28学区に編成された。2ないし3の組を統合して1つの学区とした例があるため、数は33から28に減少している。このうち、第1 - 17学区がほぼ現在の上京区に相当し、第18 - 26学区は中京区の一部、27・28学区は左京区の一部にあたる。 昭和4年(1929年)に上京区の一部は新設の中京区、東山区、左京区に分離された。同年、学区名に小学校名を付して「成逸学区」「室町学区」のように称するようになる。昭和16年(1941年)の国民学校令の発布とともに学区制は廃止された。したがって、これらの学区は現在では正式の行政区域ではないが、「元学区」という形で、地域の通称としては現在も使われている。なお、学校の統廃合等により、元学区と現在の通学区とは一致していない。 下の表は、上述の変遷をまとめたものである。 上京区の元学区の変遷 明治2年明治5年明治12年明治25年昭和4年上京2番組 上京1区 上京1組 上京第1学区 成逸学区 上京6・7・13番組 上京5・2・10区 上京5・2・10組 上京第2学区 室町学区 上京1番組 上京3区 上京3組 上京第3学区 乾隆学区 上京5番組 上京4区 上京4組 上京第4学区 西陣学区 上京3番組 上京6区 上京6組 上京第5学区 翔鸞学区 上京4番組 上京7区 上京7組 上京第6学区 嘉楽学区 上京11番組 上京8区 上京8組 上京第7学区 桃薗学区 上京12番組 上京9区 上京9組 上京第8学区 小川学区 上京28・29番組 上京11・12区 上京11・12組 上京第9学区 京極学区 上京8・9番組 上京13・14区 上京13・14組 上京第10学区 仁和学区 上京10番組 上京15区 上京15組 上京第11学区 正親学区 上京15番組 上京16区 上京16組 上京第12学区 聚楽学区 上京16番組 上京17区 上京17組 上京第13学区 中立学区 上京14番組 上京18区 上京18組 上京第14学区 出水学区 上京17番組 上京19区 上京19組 上京第15学区 待賢学区 上京18・19番組 上京20・21区 上京20・21組 上京第16学区 滋野学区 上京30番組 上京22区 上京22組 上京第17学区 春日学区 区内の町名は、おおむね近世以来の町界・町名を現代に引き継いでいる。ただし、明治時代の初期に数か町が合併して新たに命名された町、北野天神の社領など、従来町名のなかった土地に新たに起立した町名などもかなりの数が存在する。京都御苑の地域には「京都御苑」という町名が付けられている。上京区の町としての「京都御苑」は昭和35年(1960年)に成立した。区内の他の町は遅くとも明治時代の初期には成立している。 区の北西部、旧翔鸞学区の区域は、大部分が北野天神の社領で、明治元年(1868年)に上京に編入されたものである。ただし、この地区の町名は大部分が近世以来のものである。区の南西部、仁和学区の区域は、大部分が旧葛野郡聚楽村、西ノ京村、大将軍村の各一部で、これらの村のうち早くから町地化していた区域が明治元年に上京に編入されたものである。この地区の町名も大部分は近世以来のものである。
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町名の沿革
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1977年(昭和52年)10月23日 - 以下の通り、中村区名駅一~五丁目および西区名駅一~三丁目が成立。中村区名駅一丁目 - 中村区鷹羽町全域および笹島町・泥江町・広井町・広小路西通・堀内町の各一部 中村区名駅二丁目 - 中村区小鳥町・笹島町・島崎町・広井町の各一部 中村区名駅三丁目 - 中村区上笹島町全域および小鳥町・米屋町・笹島町・志摩町・島崎町・泥江町・広井町・堀内町の各一部 中村区名駅四丁目 - 中村区小鳥町・米屋町・笹島町・志摩町・西柳町・花車町・東柳町・泥江町・広井町・広小路西通・堀内町の各一部 中村区名駅五丁目 - 中村区大船町・小鳥町・花車町・東柳町・広小路西通・船入町の各一部 西区名駅一丁目 - 西区則武町・牛島町の各一部 西区名駅二丁目 - 西区早苗町・那古野町・輪ノ内町の各一部 西区名駅三丁目 - 西区替地町・那古野町の各一部 1978年(昭和53年)10月15日 - 中村区島崎町全域を中村区名駅二丁目へ、西区早苗町全域および江西町・菊井通・那古野町・西菊井町・輪ノ内町の各一部を西区名駅二丁目へ編入。 1981年(昭和56年)4月29日 - 西区則武町・則武新町・輪ノ内町の各一部を西区名駅二丁目へ編入。 1981年8月23日 - 西区江西町・菊井通・西菊井町・輪ノ内町の各一部を西区名駅二丁目へ編入。
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