町名の由来・笄橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 15:08 UTC 版)
「笄町」の名称は、町域を流れる笄川にかかっていた笄橋が町名の由来とされる。 「笄(kougai)」とは女性の日本髪に用いられた「簪(かんざし)」と並ぶヘアアクセサリーの一種であり、昔は男性も長髪なので、特に武士は身だしなみとして笄を刀の鞘に常備しておりました。(地域にはそれにまつわるエピソードがある一方、甲賀と伊賀両家の屋敷にちなみ「甲賀伊賀町」転じて「笄ヶ町」から「笄町」となったという駄洒落のような説もある。 笄橋は牛坂及び富士見坂の坂下に架っていた。 平安時代、天慶(てんぎょう)の乱(939)の時、今の麻布辺りを流れていた竜川(たつかわ)に掛った橋を渡ろうとした源経基(みなもとのつねもと)を、前司広雄(ぜんじひろお)という役人が関所を設け,阻(はば)んでおりました。そこで経基は、この時帯びていた刀の笄を与えて通過しました。そこで後にこの橋を笄橋と呼ぶようになったそうです。今は無いこの笄橋ですが、明治の初めころは有名な橋だったようで、そこから麻布笄町という地名が生まれたそうです。(引用引用2) 明治時代後期に出版された地誌 『新撰東京名所図会』は笄橋について、「笄橋はむかしより其の名高けれども、実地に就て検するに笄川と称する一溝渠に架する小板橋なり。長凡そ二間、幅三間に過ぎず。もとは欄干もなかりしが、今は之を附したり。現在のものは明治33年12月の落成に係る」と記している。武蔵野の要路にあって古くからよく知られていたが、大正時代末期に川が暗渠化されたことで消滅した。2021年現在、西麻布交差点南方、外苑西通りから1本西に入った裏通りの一交差点が橋のあった地点にあたるが、現地にそれと伝えるようなものは何もなく、川の痕跡も遺っていない。 江戸時代の古地図の記載にわずかに痕跡がみえる。
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