玄以通とは? わかりやすく解説

玄以通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 09:49 UTC 版)

玄以通 紫竹北大門町から撮影

玄以通(げんいどおり)は、京都市北区を通る東西の通りの一つである。

概要

東は賀茂川(鴨川)に架かる上賀茂橋西詰の新町通、西は紫竹西通を、それぞれ起終点[1]とする。東については、加茂街道を越え上賀茂橋を渡り、左京区を通る宝ヶ池通までを含めることもある。 全線を通じて2車線である。六間通と呼ばれた今宮通同様に、道幅が六間(約10.9m)で造られたため、上六間通(かみろっけんどおり、かみのろっけんどおり)とも呼ばれていた。京都市営バス西賀茂営業所管轄のバス路線が複数設定されているほか、紫竹地域の生活道路でもあるため、堀川通や加茂街道との交差点付近を中心に交通量は比較的多い。

紫竹西通との交差点には、交通量が多いにもかかわらず信号機が設置されていないため、車両での右左折時には注意を要する。

歴史

昭和期に実施された土地区画整理事業の東西方向の街路として整備された。 大徳寺通(紫竹街道)以東についてはおおむね1933年(昭和8年)前後までに竣工[2]し、以西についても1960年代には整備が完了している[3]

名前の由来

加茂街道新町通にかけて玄以通が横断する小山北玄以町など現在のいくつかの町名に玄以の名が含まれるが、これは上賀茂橋の西詰にかつて存在した賀茂玄以町に由来する。 賀茂玄以町は、大正7年の京都市編入時に編入前の愛宕郡上賀茂村大字上賀茂の字川原八丁と字隨念により成立し[4]、昭和初期に実施された土地区画整理事業により、昭和10年から12年にかけて前述の小山北玄以町など小山[5]と紫竹を冠する町名の区域に編成され残っていないが、玄以通の玄以はこの町名から採られたとされる[6]

沿線の主な施設

交差する道路など

脚注

  1. ^ 樋爪 (1994), p. 222。なお、京都市認定路線図網提供システムによれば、上賀茂橋西詰の新町通との交差点を東限とし、西は大宮交通公園の西南角で交差する紫竹東通までとなっている。
  2. ^ 当該地が含まれる地区における土地区画整理事業記念碑の解説(京のいしぶみデータベース 洛北中部五地区土地区画整理碑)による。
  3. ^ 当該地が含まれる今宮地区、大宮地区の土地区画整理事業はそれぞれ1960年、1969年に換地処分が行われている。
  4. ^ 京都市理財局 (1994), p. 372
  5. ^ かつての愛宕郡小山村に由来する。同村は明治22年に上賀茂村と合併し、同村大字小山となった。京都市情報館 北区役所 リレー学区紹介-元町学区
  6. ^ 樋爪 (1994), p. 222。なお、「三哲通と玄以通の名称は人名から付いたと聞いたが、それが誰なのかを知りたい。 | レファレンス協同データベース」では、同書(樋爪 (1994), p. 222)をもとに玄以通の名称を上賀茂にある「玄以」という小字名に由来するとしているが、同書の記載は、「…その当時の小字の名だったのかもしれない。」と小字名を名称の由来と断定するものではない。

参考文献

  • 樋爪修 著「玄以通」、千宗室・森谷尅久 編『京都の大路小路』小学館、1994年。ISBN 978-4-09387-105-1 
  • 京都市理財局『京都市地名・町名の沿革』京都市、1994年。 

関連項目





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