京都市立紫竹小学校
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京都市立紫竹小学校 | |
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北緯35度03分12.8秒 東経135度45分02.0秒 / 北緯35.053556度 東経135.750556度座標: 北緯35度03分12.8秒 東経135度45分02.0秒 / 北緯35.053556度 東経135.750556度 | |
過去の名称 | 紫竹国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1941年4月1日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B126210000108 |
所在地 | 〒603-8222 京都府京都市北区紫竹下園生町26 |
外部リンク | 公式サイト |
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京都市立紫竹小学校(きょうとしりつしちくしょうがっこう)は、京都市北区紫竹下園生町26に所在する公立小学校。
沿革
- 1941年(昭和16年)4月 - 京都市紫竹国民学校が国民学校令に基づく国民学校として開校(初等科4学年まで)[2]
- 1942年(昭和17年)4月 - 初等科5学年までとなる[1]
- 1943年(昭和18年)4月 - 初等科6学年を新設[1]
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により京都市立紫竹小学校となる[2]
- 1961年(昭和36年) - 新校歌制定(吉井勇作詞・古関裕而作曲)[2]
著名な出身者
通学区域
卒業後の進路
卒業後は基本的に京都市立加茂川中学校に進学する[4]。
紫竹学区
紫竹学区(しちくがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。紫竹小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。
明治22年(1889年)東紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立した大宮村は、 大正7年(1918年)に村域の一部(御土居の南側)が京都市上京区(当時)に編入され[5]、編入された旧大宮村の区域は上京第33学区となり、待鳳小学校の通学区域とされた。(なお、大宮村の残余部は、のちの昭和6年(1931年)に京都市に編入され、大宮尋常高等小学校(現在の大宮小学校)の通学区域となる大宮学区となった[6]。)
上京区第33学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、待鳳学区となった[7]。学区内には、大正14年(1925年)に第二待鳳小(のちに校名を紫野に改称)、昭和6年(1931年)に第三待鳳小(のちに校名を鳳徳に改称)、昭和14年(1939年)に第四待鳳小(のちに校名を柏野に改称)が創立された[8][9][注釈 1]。
昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[10](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[11])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[10]。待鳳学区の区域内に紫竹国民学校の通学区域を単位として紫竹町内会連合会が設置され[12]、戦後のポツダム政令[13]による解体ののち、住民自治の単位である現在の紫竹学区となった。
紫竹学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。
地理
紫野学区は、西側が待鳳学区、北側が大宮学区と上賀茂学区、東側が元町学区、南側が鳳徳学区と接する[14]。区域は、ほぼ全域が紫竹を冠称する町の一部から構成される。面積は0.587平方キロメートルである[注釈 2]。
人口・世帯数
京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[15]、紫竹学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第2国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,364人、6,655世帯である。
柴竹学区の町名
周辺
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脚注
注釈
- ^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。(→「京都の元学区」の記事を参照。)
- ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
- ^ 令和2年国勢調査時点
出典
- ^ a b c d 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 34, 「京都市立紫竹小学校」
- ^ a b c “京都市立紫竹小学校”. cms.edu.city.kyoto.jp. 2020年4月13日閲覧。
- ^ “京都市北区役所:リレー学区紹介-紫竹学区”. www.city.kyoto.lg.jp. 2020年4月13日閲覧。
- ^ a b “京都市通学区町名一覧(北区)”. 2024年2月17日閲覧。(2021年(令和3年)4月1日時点の通学区域。)
- ^ a b 『史料京都の歴史 第6巻 (北区)』 (1993), pp. 518–521, 「大宮郷」
- ^ 「昭和6年3月23日京都市告示第57号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、55-58頁。
- ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。
- ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 51–52, 「上京区待鳳学区」
- ^ “待鳳小学校 学校沿革史”. 2025年9月14日閲覧。
- ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568 。
- ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
- ^ “令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
参考文献
- “京都市北区役所:リレー学区紹介-紫竹学区”. www.city.kyoto.lg.jp. 2020年4月13日閲覧。
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
- 『史料京都の歴史 第6巻 (北区)』平凡社、1993年。doi:10.11501/9576694。ISBN 4-582-47706-2。
- 「上京区待鳳学区」『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年、51-53頁。doi:10.11501/1440637 。
- “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年8月30日閲覧。
関連文献
- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。 ISBN 4-582-49027-1。
- “京都市立紫竹小学校の沿革史”. 2025年9月14日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 京都市立紫竹小学校のページへのリンク