京都市立柏野小学校とは? わかりやすく解説

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京都市立柏野小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 08:20 UTC 版)

京都市立柏野小学校
Kashiwano elementary school
北緯35度2分14.82秒 東経135度44分12.66秒 / 北緯35.0374500度 東経135.7368500度 / 35.0374500; 135.7368500座標: 北緯35度2分14.82秒 東経135度44分12.66秒 / 北緯35.0374500度 東経135.7368500度 / 35.0374500; 135.7368500
過去の名称 京都市第四待鳳尋常小学校
京都市柏野国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1939年(昭和14年)4月1日[1]
創立記念日 11月27日[1]
共学・別学 男女共学
所在地 603-8304
京都市北区紫野郷ノ上町36
外部リンク 公式ホームページ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立柏野小学校(きょうとしりつ かしわのしょうがっこう)は京都市北区紫野郷ノ上町にあった公立小学校である。2025年令和7年)に閉校し、京都市立翔鸞小学校に統合された。

概要

1939年(昭和14年)4月に京都市第二待鳳尋常小学校(現京都市立紫野小学校)から独立し、京都市第四待鳳尋常小学校として開校した[1]。校名は、平安時代の七野の一つであり、地域の名称として使われていた「柏野」にちなんで、国民学校への移行時に命名された[2]

沿革

通学区域

通学区域は柏野学区の区域であった[5]

卒業後の進路

卒業後は基本的に京都市立衣笠中学校に進学していた[5]

柏野学区

柏野学区(かしわのがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。かつての柏野小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。

明治22年(1889年)東紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立した大宮村は、 大正7年(1918年)に村域の一部(御土居の南側)が京都市上京区(当時)に編入され、編入された旧大宮村の区域は上京第33学区となり、待鳳小学校の通学区域とされた。(なお、大宮村の残余部は、のちの昭和6年(1931年)に京都市に編入され、大宮尋常高等小学校(現在の大宮小学校)の通学区域となる大宮学区となった[6]。)

上京区第33学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、待鳳学区となった[7]。学区内には、大正13年(1924年)に第二待鳳小(のちに校名を紫野に改称)、昭和6年(1931年)に第三待鳳小(のちに校名を鳳徳に改称)、昭和14年(1939年)に第四待鳳小(のちに校名を柏野に改称)が創立された[3][注釈 1]

昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[8](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[9])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[8]。第四待鳳小から改称した柏野国民学校の通学区域を単位として柏野町内会連合会が設置され[10]、戦後のポツダム政令[11]による解体ののち、住民自治の単位である現在の鳳徳学区となった。

柏野学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。

地理

柏野学区は、北側が楽只学区、西側が衣笠学区、南側と東側が翔鸞学区上京区)、また東側のごく一部が紫野学区と乾隆学区(上京区)と接する[12]。区域は、紫野を冠称する町の一部から構成される。面積は0.166 平方キロメートルである[注釈 2]

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[13]、柏野学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第13国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は3,063人、1,463世帯である。

鳳徳学区の町名

  • 紫野郷ノ上町
  • 紫野上柏野町
  • 紫野中柏野町
  • 紫野西土居町
  • 紫野下柏野町

脚注

注釈

  1. ^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。(→「京都の元学区」の記事を参照。)
  2. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
  3. ^ 令和2年国勢調査時点

出典

  1. ^ a b c d e 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 38, 「京都市立柏野小学校
  2. ^ a b c d 京都市立柏野小学校 学校の沿革”. 2025年8月30日閲覧。
  3. ^ a b 待鳳小学校 学校沿革史”. 2024年2月17日閲覧。
  4. ^ 京都市教育委員会事務局:柏野小・翔鸞小学校の統合について”. 2025年8月30日閲覧。
  5. ^ a b 京都市通学区町名一覧(北区)”. 2024年2月17日閲覧。(2021年(令和3年)4月1日時点の通学区域。)
  6. ^ 「昭和6年3月23日京都市告示第57号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、55-58頁。 
  7. ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。 
  8. ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537070/1/135 
  9. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  10. ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568https://dl.ndl.go.jp/pid/1274568/1/11 
  11. ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
  12. ^ 令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
  13. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク




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