京都市立格致小学校とは? わかりやすく解説

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京都市立格致小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/08 09:41 UTC 版)

京都市立格致小学校
旧格致小学校玄関
北緯34度59分49.9秒 東経135度45分21.9秒 / 北緯34.997194度 東経135.756083度 / 34.997194; 135.756083座標: 北緯34度59分49.9秒 東経135度45分21.9秒 / 北緯34.997194度 東経135.756083度 / 34.997194; 135.756083
過去の名称 下京第八番組小学校
下京第十区小学校
下京太子学校
下京格致学校
下京区第十尋常小学校
京都市格致尋常小学校
京都市格致尋常高等小学校
京都市格致尋常小学校(再)
京都市格致尋常高等小学校(再)
京都市格致尋常小学校(再々)
京都市格致国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1869年(明治2年)
閉校年月日 1992年(平成4年)
所在地 600-8484
京都府京都市下京区高辻通堀川東入西高辻町602番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立格致小学校(きょうとしりつ かくちしょうがっこう)は、かつて京都府京都市下京区高辻通堀川東入西高辻町にあった公立小学校

1991年度末をもって、修徳・豊園・有隣・開智の4校と共に京都市立洛央小学校に統合され、閉校した。

概要

校名由来

沿革史によると『明治11年(1878年)2月「格致学校」と改む。按ずるに格致の称呼は、大学の「格物致知」より出でしものにして、本校当事者の届出により槇村知事の允許を得たものなり。』

「格致」という名称は、大学の「格物致知」からでている。これは大学の教科である・射・御・書・数の六芸を修得するのが知を致すゆえんの意味である。[1]

閉校時の概要

下に詳述するように、全児童数がほぼ100名規模となり、京都市立洛央小学校として統合された。

  1. 通学区 東は西洞院通東側 西は堀川通西側 南は松原通北側 北は四条通北側
  2. 教育目標 心の豊かさとたくましい実践力のある子どもの育成
  3. 研究主題 一人ひとりが考えを出し合い お互いを高め合える授業
  4. 重点目標 多様な考えを 引き出す工夫をして
  5. 児童数
    1. 1年 17名
    2. 2年 16名
    3. 3年 20名
    4. 4年 20名
    5. 5年 13名
    6. 6年 17名
    7. 合計 103名

跡地利用

廃校後は、洛央小学校や堀川高校の第二教育施設などとして使用された。 2017年(平成29)年4月、近隣の醒泉小学校と淳風小学校が少子化のため統合され下京雅小学校となり、その新校舎を新築することなり、工事期間中はここ格致小学校跡地に建てられた仮校舎が使用された。その後2020年(令和2年)4月には、下京雅小学校は元醒泉小学校跡地に完成した新校舎に移転した。 京都市は、下京雅小移転後の旧格致小跡地について、市内に残る貴重な用地である「将来用地」として、その使途を地域住民と共に考えていくとしている。

沿革

  • 1869年(明治2年)10月6日 - 下京第八番組小学校として開校
  • 1872年(明治5年) - 下京第十区小学校となる
  • 1875年(明治8年) - 下京太子学校となる
  • 1878年(明治11年) - 下京格致学校となる
  • 1887年(明治20年) - 下京区第十尋常小学校となる
  • 1892年(明治25年) - 京都市格致尋常小学校となる
  • 1901年(明治34年) - 京都市格致尋常高等小学校となる
  • 1908年(明治41年) - 京都市格致尋常小学校となる
  • 1919年(大正8年) - 創立五十周年記念式
  • 1922年(大正11年) - 京都市格致尋常高等小学校となる
  • 1932年(昭和7年) - 京都市格致尋常小学校となる
  • 1935年(昭和10年) - 商業青年学校併設
  • 1941年(昭和16年) - 京都市格致国民学校となる
  • 1947年(昭和22年) - 京都市立格致小学校となる
  • 1969年(昭和44年) - 創立周年記念で格致百年史発刊
  • 1991年(平成3年) - 格致・修徳・豊園・有隣・開智の5校統合が決定
  • 1992年(平成4年)3月31日 - 閉校

格致学区の町内 旧格致小学校校区

  • 四条堀川町    堀川通・四条通~綾小路通間
  • 柏屋町      四条通・堀川通~油小路通間
  • 高野堂町     醒ケ井通・四条通~綾小路通間
  • 石井筒町     油小路通・四条通~綾小路通間
  • 妙伝寺町     西洞院通・四条通~綾小路通間
  • 西綾小路町    綾小路通・堀川通~油小路通間
  • 要法寺町     堀川通と醒ヶ井通・綾小路通~仏光寺通間
  • 風早町      油小路通・綾小路通~仏光寺通間
  • 綾西洞院町    西洞院通・綾小路通~仏光寺通間
  • 太子山町     油小路通・仏光寺通~高辻通間
  • 本柳水町     西洞院通・仏光寺通~高辻通間
  • 傘鉾町      四条通・油小路通~西洞院通間
  • 芦刈山町     綾小路通・油小路通~西洞院通間
  • 木賊山町     仏光寺通・油小路通~西洞院通間
  • 住吉町      醒ヶ井通・高辻通~松原通間
  • 麓町       油小路通・高辻通~松原通間
  • 舟屋町      東中筋通・高辻通~松原通間
  • 高辻西洞院町   西洞院通・高辻通~松原通間
  • 西高辻町     高辻通・堀川通~油小路通間
  • 永養寺町     高辻通・油小路通~西洞院通間
  • 喜吉荒神町    堀川通と醒ヶ井通・仏光寺通~高辻通間 & 仏光寺通・油小路通~堀川通間

以上の21町がある。町内区域は概ね上記の区域である[2]

学区内にある祇園祭の山・鉾

  • 傘鉾町     四条傘鉾
  • 芦刈山町    芦刈山
  • 風早町     油天神山
  • 木賊山町    木賊山
  • 太子山町    太子山

以上、現在は傘鉾が一基、山が四基

著名な出身者

格致学区にも歴史

この小さな格致学区にも歴史はあります。醒ヶ井通東中筋通を除いて、すべての通りはいずれも794年(延暦13年)に開通しました。同年は桓武天皇長岡京を廃して平安京遷都された年です。[3]

学区周辺

脚注

  1. ^ 朱子学では「物に格りて知を致す」と読み、外界のいろいろの事物の道理をきわめつくして、自己の知をみがき窮めると得く。陽明学では「物を格して知に致る」と読み、「物」は「わが心」の意で、自己の心を正すことによって、先天的の良知をみがくことができると解く。そのいずれをとって校名としたにせよ、子どもたちが立派な人物になってもらいたいという当時の先生や親たちのねがいが、この校名の中にこめられている。『閉校機関誌 格致』京都市教育委員会編集発行 1994年 13p
  2. ^ 第二次世界大戦中の堀川通拡張に伴ってなくなった町内がいくつかあるが、登記上の町名としては、上記の他にも現存している町名がある。
  3. ^ 『躍動下京』下京区百十周年記念委員会編集発行 1990年 p26

参考文献・出典

  • 閉校記念誌『格致』 京都市教育委員会 平成6年発行
  • 格致同窓会百周年記念誌 格致同窓会創立百周年記念事業委員会 平成3年発行
  • 下京区130周年記念誌 下京区130周年記念事業実行委員会 平成22年発行
  • 歩こうわが家から下京の歴史 下京区ふれあい事業実行委員会 平成7年発行

関連項目

外部リンク




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