京都市立鳳徳小学校
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京都市立鳳徳小学校 Houtoku elementary school |
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北緯35度2分42.69秒 東経135度45分7.75秒 / 北緯35.0451917度 東経135.7521528度座標: 北緯35度2分42.69秒 東経135度45分7.75秒 / 北緯35.0451917度 東経135.7521528度 | |
過去の名称 | 京都市第三待鳳尋常小学校 京都市鳳徳国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 1931年(昭和6年)5月5日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒603-8176 京都市北区紫野上鳥田町30 |
外部リンク | 公式ホームページ |
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京都市立鳳徳小学校(きょうとしりつ ほうとくしょうがっこう)は京都市北区紫野上鳥田町にある公立小学校である。
概要
1931年(昭和6年)5月に、京都市第三待鳳尋常小学校として開校した小学校であり[1]、学校名は、従前の学校・学区名である待鳳の「鳳」と大徳寺の「徳」を組み合わせたものである[2]。
沿革
- 1931年(昭和6年)5月5日 - 京都市第三待鳳尋常小学校創立[3][注釈 1]
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により京都市鳳徳国民学校と改称[3]
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により京都市立鳳徳小学校と改称[3]
通学区域
卒業後の進路
鳳徳学区
鳳徳学区(ほうとくがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。鳳徳小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。
明治22年(1889年)東紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立した大宮村は、 大正7年(1918年)に村域の一部(御土居の南側)が京都市上京区(当時)に編入され、編入された旧大宮村の区域は上京第33学区となり、待鳳小学校の通学区域とされた。(なお、大宮村の残余部は、のちの昭和6年(1931年)に京都市に編入され、大宮尋常高等小学校(現在の大宮小学校)の通学区域となる大宮学区となった[7]。)
上京区第33学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、待鳳学区となった[8]。学区内には、大正13年(1924年)に第二待鳳小(のちに校名を紫野に改称)、昭和6年(1931年)に第三待鳳小(のちに校名を鳳徳に改称)、昭和14年(1939年)に第四待鳳小(のちに校名を柏野に改称)が創立された[5][注釈 2]。
昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[9](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[10])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[9]。第三待鳳小から改称した鳳徳国民学校の通学区域を単位として鳳徳町内会連合会が設置され[11]、戦後のポツダム政令[12]による解体ののち、住民自治の単位である現在の鳳徳学区となった。
鳳徳学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。
地理
鳳徳学区は、東は新町通、南は北大路通、西は大徳寺、北は今宮北通の北側に囲まれたほぼ正方形の形となっており[2]、東側が紫明学区、南側が紫野学区、西側が待鳳学区、北側が紫竹学区と接する[13]。区域は、紫竹・紫野・小山を冠称する町の一部から構成される。面積は0.464 平方キロメートルである[注釈 3]。
人口・世帯数
京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[14]、鳳徳学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第3国勢統計区[注釈 4])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は6,513人、3,200世帯である。
鳳徳学区の町名
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 33, 「京都市立鳳徳小学校」
- ^ a b c “京都市北区役所:リレー学区紹介-鳳徳学区”. 2025年8月30日閲覧。
- ^ a b c d “京都市立鳳徳小学校 学校沿革史”. 2025年8月30日閲覧。
- ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 51–52, 「上京区待鳳学区」
- ^ a b “待鳳小学校 学校沿革史”. 2024年2月17日閲覧。
- ^ a b “京都市通学区町名一覧(北区)”. 2025年8月30日閲覧。
- ^ 「昭和6年3月23日京都市告示第57号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、55-58頁。
- ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。
- ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070 。
- ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074 。
- ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568 。
- ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
- ^ “令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
参考文献
- “京都市北区役所:リレー学区紹介-鳳徳学区”. 2025年8月30日閲覧。
- 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年。doi:10.11501/1440637。
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
関連文献
- 『史料京都の歴史 第6巻 (北区)』平凡社、1993年。doi:10.11501/9576694。ISBN 4-582-47706-2。
- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。 ISBN 4-582-49027-1。
- “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年8月30日閲覧。
関連項目
外部リンク
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