京都市立鳳徳小学校とは? わかりやすく解説

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京都市立鳳徳小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 04:40 UTC 版)

京都市立鳳徳小学校
Houtoku elementary school
北緯35度2分42.69秒 東経135度45分7.75秒 / 北緯35.0451917度 東経135.7521528度 / 35.0451917; 135.7521528座標: 北緯35度2分42.69秒 東経135度45分7.75秒 / 北緯35.0451917度 東経135.7521528度 / 35.0451917; 135.7521528
過去の名称 京都市第三待鳳尋常小学校
京都市鳳徳国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1931年(昭和6年)5月5日[1]
共学・別学 男女共学
所在地 603-8176
京都市北区紫野上鳥田町30
外部リンク 公式ホームページ
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立鳳徳小学校(きょうとしりつ ほうとくしょうがっこう)は京都市北区紫野上鳥田町にある公立小学校である。

概要

1931年昭和6年)5月に、京都市第三待鳳尋常小学校として開校した小学校であり[1]、学校名は、従前の学校・学区名である待鳳の「鳳」と大徳寺の「徳」を組み合わせたものである[2]

沿革

通学区域

通学区域は鳳徳学区の区域と一致する[6]

卒業後の進路

卒業後は基本的に京都市立旭丘中学校に進学する[6]

鳳徳学区

鳳徳学区(ほうとくがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市北区に位置する。鳳徳小学校の通学区域を範囲とする、京都市の地域自治の単位となっている。

明治22年(1889年)東紫竹大門村と西賀茂村が合併して成立した大宮村は、 大正7年(1918年)に村域の一部(御土居の南側)が京都市上京区(当時)に編入され、編入された旧大宮村の区域は上京第33学区となり、待鳳小学校の通学区域とされた。(なお、大宮村の残余部は、のちの昭和6年(1931年)に京都市に編入され、大宮尋常高等小学校(現在の大宮小学校)の通学区域となる大宮学区となった[7]。)

上京区第33学区は、昭和4年(1929年)に、学区名が小学校名に改称されることにより、待鳳学区となった[8]。学区内には、大正13年(1924年)に第二待鳳小(のちに校名を紫野に改称)、昭和6年(1931年)に第三待鳳小(のちに校名を鳳徳に改称)、昭和14年(1939年)に第四待鳳小(のちに校名を柏野に改称)が創立された[5][注釈 2]

昭和16年(1941年)に国民学校令の施行により学区の根拠が失われ[9](京都市の学区そのものは昭和17年(1942年)に廃止[10])、昭和16年6月に国民学校の通学区域を単位とする町内会連合会が発足[9]。第三待鳳小から改称した鳳徳国民学校の通学区域を単位として鳳徳町内会連合会が設置され[11]、戦後のポツダム政令[12]による解体ののち、住民自治の単位である現在の鳳徳学区となった。

鳳徳学区は昭和30年(1955年)9月、上京区から分区して成立した北区に位置することになった。

地理

鳳徳学区は、東は新町通、南は北大路通、西は大徳寺、北は今宮北通の北側に囲まれたほぼ正方形の形となっており[2]、東側が紫明学区、南側が紫野学区、西側が待鳳学区、北側が紫竹学区と接する[13]。区域は、紫竹・紫野・小山を冠称する町の一部から構成される。面積は0.464 平方キロメートルである[注釈 3]

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[14]、鳳徳学区の区域に設定されている国勢統計区(北区第3国勢統計区[注釈 4])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は6,513人、3,200世帯である。

鳳徳学区の町名

  • 紫竹下梅ノ木町
  • 小山初音町[町 1]
  • 小山上初音町[町 1]
  • 紫竹西高縄町[町 1]
  • 紫竹高縄町
  • 紫竹東高縄町
  • 紫野下石龍町
  • 紫野下門前町
  • 紫野上門前町
  • 紫野門前町
  • 紫野石龍町
  • 紫野上石龍町
  • 紫野下鳥田町
  • 紫野上鳥田町
  • 紫野上御所田町
  • 紫野西御所田町[町 1]
  • 紫野雲林院町[町 1]
  • 紫野上柳町
  • 紫野下柳町
  • 小山下初音町[町 1]
  • 小山西大野町[町 1]
  • 小山北大野町[町 1]
  1. ^ a b c d e f g h 町域の一部が鳳徳学区にあたる。

脚注

注釈

  1. ^ 設置を4月(4月1日)とする資料もある[4][5]
  2. ^ 第二次世界大戦前の京都市の学区については、学区内に新たに小学校が創立して通学区域が分割されても、学区の区域が分割されることはなかった。(→「京都の元学区」の記事を参照。)
  3. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービスの国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。
  4. ^ 令和2年国勢調査時点

出典

  1. ^ a b c 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 33, 「京都市立鳳徳小学校
  2. ^ a b c 京都市北区役所:リレー学区紹介-鳳徳学区”. 2025年8月30日閲覧。
  3. ^ a b c d 京都市立鳳徳小学校 学校沿革史”. 2025年8月30日閲覧。
  4. ^ a b 『京都市学区大観』 (1937), pp. 51–52, 「上京区待鳳学区
  5. ^ a b 待鳳小学校 学校沿革史”. 2024年2月17日閲覧。
  6. ^ a b 京都市通学区町名一覧(北区)”. 2025年8月30日閲覧。
  7. ^ 「昭和6年3月23日京都市告示第57号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、55-58頁。 
  8. ^ 「昭和4年3月29日京都府告示第80号」京都市 編『京都市 地名・町名の沿革』1994年、50-51頁。 
  9. ^ a b 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 1 (政治・行政編)』京都府、1971年、248頁。doi:10.11501/9537070https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537070/1/135 
  10. ^ 京都府立総合資料館 編「昭16(1941)年」『京都府百年の年表 5 (教育編)』京都府、1970年、202頁。doi:10.11501/9537074https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9537074/1/112 
  11. ^ 京都市戦時生活局振興課 編「各區町內會聯合會別地域組合、高額貯蓄組合竝ニ國債債劵隣保消化目標額」『国民貯蓄増強のしるべ 昭和18年度』京都市、1943年、14-24頁。doi:10.11501/1274568https://dl.ndl.go.jp/pid/1274568/1/11 
  12. ^ 町内会部落会又はその連合会等に関する解散、就職禁止その他の行為の制限に関する政令(昭和22年政令第15号)
  13. ^ 令和2(2020)年 国勢調査地図”. 2024年2月17日閲覧。
  14. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク




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