京都市立美豆小学校とは? わかりやすく解説

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京都市立美豆小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 09:14 UTC 版)

京都市立美豆小学校
Mizu elementary school
北緯34度53分49秒 東経135度42分46秒 / 北緯34.89687度 東経135.71286度 / 34.89687; 135.71286座標: 北緯34度53分49秒 東経135度42分46秒 / 北緯34.89687度 東経135.71286度 / 34.89687; 135.71286
国公私立の別 公立学校
設置者 京都市
設立年月日 1985年(昭和60年)4月3日[1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B126210001429
所在地 613-0916
京都府京都市伏見区淀美豆町1244
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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京都市立美豆小学校(きょうとしりつ みずしょうがっこう)は、京都府京都市伏見区淀美豆町にある公立小学校

沿革

美豆尋常小学校

  • 1872年(明治5年)- 学制発布により、八幡高坊に「知周黌(知周校)」設置[1]
  • 1881年(明治14年)- 教育令施行により、「知周黌」から分離し美豆村に「精義校」設置[1][2]
  • 1891年(明治24年)- 淀川改修に伴い、美豆の西部に校舎移転、生津に分教場設置[1]
  • 1899年(明治32年)- 宇治川改修[注釈 1]により、生津より分離して「小美豆」に尋常小学校を立地[1]
  • 1908年(明治41年)- 義務教育年限延長により、美豆尋常高等小学校として3校を合併[1]
  • 1934年(昭和9年)9月 - 室戸台風により校舎倒壊。再建できず、明親尋常高等小学校に統合[1]
  • 1935年(昭和10年)4月11日 - 明親尋常高等小学校に合併。美豆尋常高等小学校閉校[3]

美豆小学校(現校)

  • 1984年(昭和59年)
  • 1985年(昭和60年)
    • 1月 - 分校で授業開始[3]
    • 3月 - 分校名を京都市立美豆小学校と命名[3]
    • 4月3日 - 京都市立美豆小学校独立開校[2][3]

卒業後の進路

卒業後は基本的に京都市立大淀中学校に進学する。

通学区域

美豆小学校の通学区域は、京都市の元学区(学区)淀南学区にあたる3町(淀美豆町淀際目町淀生津町)に一致する[4]

また、京都市外の以下の区域について、区域外通学の対象となっている[5]

通学区域が隣接している学校

関係者

淀南学区

淀南学区(よどみなみがっく)は、京都市学区(元学区)のひとつ。京都市伏見区に位置する。美豆小学校の通学区域と概ね合致する、京都市の地域自治の単位となる地域区分である。かつての綴喜郡美豆村の範囲に相当する。

淀南学区の沿革

現在の淀南学区の地域は、以下のような変遷を経ている。

近世の美豆村、際目村、生津村は、現在の八幡市川口にあたる川口村も含めた4か村により「八幡外四郷[注釈 3]」を形成していた。明治初年の木津川付け替えにより川口村と対岸の右岸に位置するようになった3村は、町村制により1889年(明治22年)10月に綴喜郡美豆村大字となった。その後宇治川付け替えにより大字美豆が宇治川の右岸、大字際目・生津が宇治川の左岸に位置することになった。美豆村は1935年昭和10年)4月に久世郡淀町[注釈 4]に編入された。(なお、淀町は1936年昭和11年)2月に、乙訓郡淀村[注釈 5]を編入している。)その後、淀町が1957年(昭和32年)4月1日に京都市へ編入され、これらの地域は伏見区に所属することになった。

人口・世帯数

京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[9]、淀南学区の区域に設定されている国勢統計区(伏見区第9国勢統計区[注釈 6])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は5,545人、2,280世帯である。

地理

伏見区の南西部に位置する学区であり、北側は淀学区、東側は久世郡久御山町八幡市の飛地(八幡長町、八幡樋ノ口、川口高原)、南側は八幡市、西側は一部で乙訓郡大山崎町に接する。面積は2.385平方キロメートルであり[注釈 7]、区域の中央部を宇治川が横切り、両岸は淀大橋で結ばれる。

淀南学区の通学区域

淀南学区の通学区域は、現在全域について、小学校は京都市立美豆小学校、中学校は京都市立大淀中学校となっている[4]

淀南学区の町名

周辺

脚注

注釈

  1. ^ 宇治川改修により、大字美豆と大字際目・生津が宇治川により分断されることになった。
  2. ^ これらの町は八幡市の飛地である。
  3. ^ 常盤・科手・金振・山路の「八幡内四郷」と合わせ、「八幡八郷」と呼ばれた[8]
  4. ^ 当時(美豆村淀村編入前)の淀町域は、現在の淀本町淀池上町淀下津町淀新町淀川顔町淀木津町にあたる。
  5. ^ 現在の淀水垂町淀大下津町淀樋爪町にあたる。
  6. ^ 令和2年国勢調査時点。名称は「美豆」。
  7. ^ 京都市地域統計要覧ウェブサービス国勢統計区別集計において、総務省統計局「地図で見る統計(jSTAT MAP)」に登録されている境界データから算出された数値として示される面積。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 美豆小学校 学校沿革史” (2024年3月15日). 2025年8月5日閲覧。
  2. ^ a b c 京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年8月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 明親小学校 学校沿革史” (2023年4月20日). 2025年8月3日閲覧。
  4. ^ a b 京都市通学区町名一覧(伏見区)”. 2024年3月11日閲覧。(リンク元:京都市教育委員会事務局:京都市立小・中・小中学校の通学区域
  5. ^ 京都市通学区町名一覧(その他)”. 2024年3月11日閲覧。(リンク元:京都市教育委員会事務局:京都市立小・中・小中学校の通学区域
  6. ^ 久御山町:通学区域”. 2024年3月11日閲覧。
  7. ^ 八幡市立小・中学校一覧と校区”. 2024年3月11日閲覧。
  8. ^ 『京都府の地名』平凡社〈日本歴史地名大系26〉、1981年。ISBN 4-582-49026-3 コトバンク-八幡八郷https://kotobank.jp/word/八幡八郷-14305332025年8月1日閲覧 
  9. ^ 用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。

関連項目

外部リンク




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