京都市立明親小学校
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京都市立明親小学校 Meishin elementary school |
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北緯34度54分12.81秒 東経135度43分17.74秒 / 北緯34.9035583度 東経135.7215944度座標: 北緯34度54分12.81秒 東経135度43分17.74秒 / 北緯34.9035583度 東経135.7215944度 | |
過去の名称 | 明親館 明親尋常高等小学校 明親国民学校 淀町立明親小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 京都市 |
設立年月日 | 明治5年(1872年)12月 |
創立年月日 | 万延元年(1860年)5月11日 |
創立者 | 淀藩 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B126210000965 |
所在地 | 〒613-0904 京都市伏見区淀池上町106 |
外部リンク | 公式サイト |
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京都市立明親小学校(きょうとしりつ めいしんしょうがっこう)は、京都府京都市伏見区淀池上町にある公立小学校。
概要
万延元年(1860年)5月11日、淀藩の当時の藩主稲葉正邦が家老の松尾直在に創設させた藩校「明親館」を前身とし、学制発布にあたり「明親館」の校舎・教師を引き継ぐ形で、1872年(明治5年)12月に設立された[1]。
沿革
- 万延元年(1860年)5月11日 - 淀藩の藩校明親館設立[1]
- 1872年(明治5年)12月 - 学制発布により「明親館」を廃し、淀池上小学校設立[1][2]
- 1876年(明治9年) - 校名を池上に改称[2]
- 1879年(明治12年) - 校名を明親に改称[2]
- 1889年(明治21年) - 明親尋常高等小学校に改称[3]
- 1908年(明治41年) - 義務年限延長により6年制となる[1]。
- 1934年(昭和9年)9月 - 室戸台風の被害を受ける(南校舎倒壊)[1]
- 1935年(昭和10年)4月11日 - 綴喜郡美豆尋常高等小学校を合併[1]
- 1936年(昭和11年)2月11日 - 乙訓郡與杼尋常小学校を合併[1]
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、明親国民学校に改称[1]
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により淀町立明親小学校となる[1]。
- 1957年(昭和32年)4月 - 淀町の京都市編入により京都市立明親小学校となる[1]。
- 1960年(昭和35年) - 創立100周年(5月11日 記念祝賀式挙行)[1]
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 2011年(平成23年)2月 - 創立150周年記念式典[1]
通学区域
明親小学校の通学区域は、京都市の元学区(学区)の淀学区に一致する[4]。 また、久世郡久御山町の大橋辺(うち、府道宇治淀線より東側)[5]の区域が、区域外通学の対象となっている[6]。
関係者
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淀学区
淀学区(よどがっく)は、京都市の学区(元学区)のひとつ。京都市伏見区に位置する。明親小学校の通学区域と概ね合致する、京都市の地域自治の単位となる地域区分である。
淀学区の沿革
現在の淀学区の地域は、以下のような変遷を経ている。
近世の淀城下には、池上町、下津町、新町の城内3町と、納所町[注釈 1]、大下津町、水垂町の城外3町の6町があった[7]。
かつての「島之内」にあたる城内3町および淀城内は、廃藩置県により明治4年(1871年)7 - 11月の淀県[注釈 2]を経て京都府に属し、その後1889年(明治22年)10月に池上町、下津町、新町により町村制に基づく久世郡淀町が発足した。(現在の淀本町・淀池上町・淀下津町・淀新町・淀川顔町・淀木津町にあたる。)
城外3町のうち、桂川右岸にある大下津町、水垂町は、もともと各々大下津村、水垂村の一部であったが、明治4年(1871年)に紀伊郡から乙訓郡へ転属、1878年(明治11年)には、水垂町が水垂村に、大下津町が大下津村に併合され[9][10]、1889年(明治22年)10月に町村制施行により、水垂村、大下津村および水垂村に接する樋爪村が合併して、乙訓郡淀村が発足した。(現在の淀水垂町・淀大下津町・淀樋爪町にあたる。)
この乙訓郡淀村は、1936年(昭和11年)2月に、久世郡淀町に編入された。(また、淀町は1935年(昭和10年)4月には、現在の淀美豆町・淀際目町・淀生津町にあたる綴喜郡美豆村を編入している。)その後、淀町が1957年(昭和32年)4月1日に京都市へ編入され、これらの地域は伏見区に所属することになった。
人口・世帯数
京都市内では、概ね元学区を単位として国勢統計区が設定されており[11]、淀学区の区域に設定されている国勢統計区(伏見区第8国勢統計区[注釈 3])における令和2年(2020年)10月の人口・世帯数は8,327人、3,779世帯である。
地理
伏見区の南西部に位置する学区であり、北側は羽束師学区、東側は横大路学区と納所学区、南側は久世郡久御山町と淀南学区、西側は長岡京市と乙訓郡大山崎町に接する。面積は2.615平方キロメートルであり[注釈 4]、区域の中央部を桂川が横切り、両岸は宮前橋で結ばれる。
淀学区の通学区域
淀学区の通学区域は、現在全域について、小学校は京都市立明親小学校、中学校は京都市立大淀中学校となっている[4]。
淀学区の町名
周辺
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脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “明親小学校 学校沿革史” (2023年4月20日). 2025年8月3日閲覧。
- ^ a b c d “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年8月3日閲覧。
- ^ a b 『京都市立学校園沿革史』 (1981), p. 216, 「京都市立明親小学校」
- ^ a b “京都市通学区町名一覧(伏見区)”. 2025年8月3日閲覧。(リンク元:京都市教育委員会事務局:京都市立小・中・小中学校の通学区域)
- ^ “久御山町:通学区域”. 2025年8月3日閲覧。
- ^ “京都市通学区町名一覧(その他)”. 2025年8月3日閲覧。(リンク元:京都市教育委員会事務局:京都市立小・中・小中学校の通学区域)
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 1478, 「淀」
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 1479, 「淀県」
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 1337, 「水垂」
- ^ 『角川日本地名大辞典 26 京都府』上巻 (1982), p. 264, 「大下津」
- ^ “用語の解説(京都市の人口 令和2年国勢調査結果)”. 2023年8月17日閲覧。
参考文献
- 『京都市立学校園沿革史』京都報道センター、1981年。doi:10.11501/12111830。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 26 京都府』 上巻、角川書店、1982年。ISBN 4-040-01261-5。
- “京都市立小学校の変遷”. 京都市学校歴史博物館. 2025年8月3日閲覧。
関連文献
- 『京都市の地名』平凡社〈日本歴史地名大系27〉、1979年。 ISBN 4-582-49027-1。
関連項目
外部リンク
- 京都市立明親小学校のページへのリンク