町の創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/08/30 11:47 UTC 版)
「アバディーン (サウスダコタ州)」の記事における「町の創設」の解説
アバディーンは、アメリカ合衆国中西部の多くの町と同様、新に進展してくる鉄道の沿線に建設された。アバディーンが初めて公式に町を建設する場所として指定されたのは1881年1月3日のことであり、シカゴ・ミルウォーキー・アンド・セントポール鉄道、略してミルウォーキー鉄道のミネアポリス事務所監督官チャールズ・プライアーが指揮し、政治家のアレクサンダー・ミッチェルが監督していた。プライアーの上司であるミッチェルはスコットランドのアバディーンで生まれていたので、これに因んで町の名前が付けられた。アバディーンの町の正式な設立日は1881年7月6日であり、これはミルウォーキー鉄道が初めて到着した日だった。その後ダコタ準州議会によって1883年3月に市制の認可がなされ、市として運営されるようになった。 アバディーンの町が成長するにつれて、メインストリート沿いに多くの事業用など建物が建設された。しかしこのことはアバディーンの特徴ある地形のために問題になってきた。アバディーンは「蛙の池にある町」と呼ばれるようになった。当初この特徴ある状態は、あまり雨が降らなかったので新しく建設される建物にも問題にならなかった。しかし市民はこの問題が以下に不都合なものになるかを理解するようになった。乾期の間、蛙の池は何の問題もなく、気にも留められなかったが、激しい雨が降ると池が出現してメインストリートの建物全ての基底部を水浸しにし、多くの事業家や家屋所有者を困らせることになった。町には洪水になったときに全体を乾燥させるために使う蒸気駆動のポンプが小さなもの1台しか無かったので、乾燥が終わるまでに何日も、数週間とは言わないまでもそれに近くの時間を要した。その間にまた雨が降ればまた洪水が起こり、せっかく乾燥させた基底部も水で溢れた。水が引くと雨が運んできた泥の処理をする必要もあった。被圧力式の溝を掘ることにしたのが1882年のことであり、後に改良されてアルトワ式井戸に発展し、激しい雨と戦い、基底部を洪水から守るようになった。市の技師達が設計したアルトワ式井戸は洪水を防ぎ水の供給システムを作るように工夫されたとしても、事態はその通りには進まなかった。井戸を掘っているときに、地下水脈の水の圧力が強大であり、そこから噴き出した水でメインストリートは所によって深さ4フィート (1.2 m) まで水に浸かった。技師達は当初計画の誤りに気付き、直ぐに井戸に締め切り弁を付けて水流を制御し、初めて上水供給の施設ができた。 1886年までにこの新しい町には3つの鉄道会社が停車駅を築いていた。これら3線が交差することで、アバディーンは「ダコタの中継都市」として知られるようになった。アバディーンの町を上空から見た場合、鉄道の線路がハブ部を中心として車輪のスポークのように延びていたので、この渾名がついた。この鉄道3線の存在でアバディーンが成長することになったが、今日でも残っている鉄道はバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道の1線のみとなっている。 1900年国勢調査に拠れば、アバディーンの人口は4,087人だった。これが1910年には10,752人となり。増加率は163%にもなった。1920年には5万人に達するのではないかと予測された。しかしそうはならず、人口は間もなく減少を始めた。2006年時点の推計人口は24,071人であり、2000年とくらべて2.4%の増加である。アバディーンの市民はこの人口衰退を若年人口の流出と老齢人口の増加のせいにしている。 アバディーン市はブラウン郡の郡庁所在地である。しかし当初の郡庁所在地はコロンビアだった。鉄道が建設されていた当時、当時の郡庁所在地だったコロンビアを通って鉄道が敷かれる計画だった。この噂が広まると、投機のためにコロンビア周辺の土地価格が騰貴した。鉄道会社が線路敷設のための土地を買おうとすると、土地価格が上がっていたために計画を変更し、アバディーンを通る経路に変更された。しかし、アバディーンが1881年に町になると、どの町を郡庁所在地にすべきかという議論が持ち上がって1890年まで続いた。1889年に新に制定されたサウスダコタ州憲法では、問題のある郡庁所在地が当初多数決で決定されたものでなければ、住民投票によってそれを動かすことができるとされていた。住民投票の結果はアバディーンが唯一無二の郡庁所在地であると決せられ、全ての証拠書類はアバディーンの裁判所に移された。この郡庁所在地論争の間に、記録類はコロンビアの裁判所から一旦アバディーンの裁判所(1886年から1887年に建設)に移され、それがまたコロンビアに戻されて、果てしなく移動が続くように見えていた。この移動は2つの町から夜間の襲撃によって行われるのが通常だった。
※この「町の創設」の解説は、「アバディーン (サウスダコタ州)」の解説の一部です。
「町の創設」を含む「アバディーン (サウスダコタ州)」の記事については、「アバディーン (サウスダコタ州)」の概要を参照ください。
- 町の創設のページへのリンク