琴稲妻佳弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 18:04 UTC 版)
琴稲妻 佳弘(こといなずま よしひろ、1962年(昭和37年)4月26日 - )は、群馬県利根郡みなかみ町(旧利根郡新治村)出身(沼田市出身という説もある[2])で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 昌浩(たむら よしひろ)。現在は年寄・粂川。最高位は東小結(1995年(平成7年)11月場所)。現役時代の体格は181cm、137kg。得意手は突き、押し、右四つ、寄り、上手投げ、肩透かし。地味ながら、巧さの光る相撲で長く活躍した。通称は「ピヨ」[1]。
- ^ a b c d e f g h i j k l ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p27
- ^ 現役時代の場内アナウンスでは新治村(一時期は「村」を省略し「新治」のみ)出身とされていたが、現在の日本相撲協会公式サイト上のプロフィールでは沼田市出身とされている
- ^ 好角家の漫画家・やくみつるは当場所の三賞初受賞について、2度目の大関陥落後の現役末期に敢闘賞を受賞した名寄岩が主人公となった映画「涙の敢闘賞」を引き合いに出し、琴稲妻の敢闘賞受賞を題材にした映画が作られたとする一コマ漫画を執筆した。
- ^ “粂川親方ら代役審判 部屋に陽性者の九重親方ら全休 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2021年1月10). 2021年1月17日閲覧。
- ^ 藤島親方ら副理事候補3人を選任 相撲協会理事会 産経新聞 2022/3/11 18:04 (2022年3月12日閲覧)
- ^ 「伊勢ノ海親方は大阪場所担当部長、佐渡ケ嶽親方は審判部長 日本相撲協会が新職務分掌を発表」『日刊スポーツ』、2022年3月30日。2022年3月30日閲覧。
- ^ やくみつるも自身執筆の「おチャンコクラブ」の連載初期、両者の対戦で呼出及び行司が両者の酷似っぷりに困惑するネタを描いた。
- ^ 右足首関節靱帯断裂により8日目から途中休場
- ^ 右大腿部負傷および左腓腹筋挫傷により5日目から途中休場、12日目から再出場、13日目から再度途中休場
- 1 琴稲妻佳弘とは
- 2 琴稲妻佳弘の概要
- 3 主な成績
- 4 改名歴
固有名詞の分類
- 琴稲妻佳弘のページへのリンク