現代のポリネシア
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第二次世界大戦後、西サモアは1946年12月13日に信託統治領に移行したのち、1962年に西サモアとして独立を果たした。その後、1970年にトンガ、ツバルは1974年にギルバート諸島(現:キリバス領)と分離したのち1978年に独立した。クック諸島とニウエは1974年からニュージーランドの自由連合国となっており、外交と防衛はニュージーランドが行い、住民の国籍もニュージーランドのままであるが、内政自治権と独自に国際機関に加盟する権利が与えられた。その後、1993年8月4日にニュージーランドは2国を主権国家として承認し、外交権も与えられたため、日本は2011年6月16日にクック諸島、2015年5月15日にニウエを国家承認し、国交を樹立している。一方、ハワイは1959年8月21日にアメリカ50番目の州に昇格した。 ポリネシアのうち、21世紀の現在でも伝統的な生活を続けている島は、ハワイのニイハウ島などごくわずかである。ハワイやタヒチは1960年代頃に主要産業を農業から観光へと転換し、世界的な観光地となった。一方で、独立を果たしたものの、旧宗主国や先進国からの経済援助がなければ立ち行かない国や地域も多く、小島嶼開発途上国に分類される国と地域がほとんどである。特にツバルは後発開発途上国にも分類される上、国土のすべてが低地の環礁島であるため、地球温暖化および海面上昇による国土水没の危機に瀕している。 また第二次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランスの3国はポリネシア地域で核実験を行った。特にフランスは、1960年から1996年までトゥアモトゥ諸島南部のムルロア環礁とファンガタウファ環礁で200回あまりの核実験を行った。このフランスによる核実験に対し、1965年に南太平洋委員会(現:太平洋共同体)の席上で、クック諸島代表が核実験反対の立場を表明した。さらに1971年8月には、島嶼国の主体性を堅持し、結束を図ることを目的として、イギリスやアメリカ、フランスの影響力が強い南太平洋委員会とは別個に、南太平洋フォーラム (South Pacific Forum; SPF) がクック諸島、西サモア、トンガ、ニュージーランド、フィジー、ナウル、オーストラリアの7つの国と地域によって創設された。その後も、南太平洋フォーラム(現:太平洋諸島フォーラム)は核実験や太平洋への放射性廃棄物の投棄には反対の立場を取り続けており、1985年8月6日には加盟国間で南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)が調印された。また1980年(昭和55年)に、日本の科学技術庁が小笠原諸島沖に放射性廃棄物を海洋投棄する計画を発表した際には、日本政府に対して連名で抗議を行った。しかし、日本と太平洋諸島フォーラムの関係は決して悪いものではなく、1997年(平成9年)以来3年に1回のペースで、日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議(太平洋・島サミット Pacific Islands Leaders Meeting: PALM)が日本国内で開催されている。
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現代のポリネシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:43 UTC 版)
ニュージーランド以外の大多数の島々は収入を外国の援助と国外居住者からの送金に頼っている。若者は収入が得られ仕送りが出来る土地へ出稼ぎに行こうとする傾向が ある。イースター島のように観光で補う所も多い。ツバルはインターネットドメイン名の「.tv」を売っている。クック諸島は切手販売に依存している。非常 に少ないが西洋文明到来前の生活を送っている島もある。
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