燕三条系ラーメンとは? わかりやすく解説

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燕背脂ラーメン

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/14 02:27 UTC 版)

ラーメン > 新潟県のラーメン > 燕背脂ラーメン
燕市発祥の燕背脂ラーメン

燕背脂ラーメン(つばめせあぶらラーメン)とは、新潟県燕市発祥の豚の背脂を入れたご当地ラーメン新潟5大ラーメンの一つである。

概要

新潟県燕市における背脂ラーメンは、1932年昭和7年)に福来亭の前身となる屋台中国浙江省出身の徐昌星[注 1]燕町(当時)で開業したのが発祥とされている[1][2]:61。徐は翌年、福来亭を開業した[3]。この福来亭をリニューアルした杭州飯店が昔ながらの代表的な人気店である[4]

屋台開店当時の燕地域は、現在の朝日町や幸町付近に金属加工工場が数多くあり、徐は中央通りに屋台を構えた。火力の弱い屋台では細麺しか茹でることができず、麺に合わせるスープは現在とは全く違ってさっぱりした薄味であった。翌年の1933年(昭和8年)には燕駅近くの穀町で店舗を構えた[1][5]

現在の杭州飯店の味へ近づき始めたのは1937年(昭和12年)頃からである。たくさん汗をかく工場で働く人からの要望で塩味を濃くしていき、ただ塩っぱいだけではなく味に甘味とまろやかさを出すために研究と改良を重ねた結果、背脂を使うことを思いつく[1][2]:186。背脂ラーメン普及前、背脂は精肉店などで廃棄されることが多い部位だった[3]が中国では一般家庭でも料理に使われていた[1]ことから、少量ではあるが背脂を入れるようになる[5]。昭和30年代に出前が1日800杯に達し、届け時間が長くなっても麺が伸びにくいように、小麦粉の原料を中力粉から強力粉に変え[2]:186、麺を極太にしていった[1][6][注 2]。この極太麺に負けないスープを作ろうとすると、どうしても味が濃くなってしまうので、甘味を加えるために大量の背脂を入れるようになった[7]。背脂を大量に入れた理由について他にも説はあるが[注 3]、出前の際に時間が経ってもスープが冷めないように背脂で蓋をするため[8]:109という説については、杭州飯店の2代目・徐勝二が否定している[7]。甘味を加えるためという理由のほか、背脂が当時の労働者たちのスタミナ食だったためとも語っている[9][注 4]

また、徐昌星は、その技術を自分のものだけにはせず「燕」のものとするために、同業者である他店にも技術を指導したとされる[1][注 5][注 6]

このラーメンの特徴の一つである極太麺はうどんのようだとも表現される[8]:109煮干しなどの魚介類出汁が効いた、濃口醤油スープ[6]に、豚の背脂が表面を覆っているのが特徴[1][6][注 7][注 8]。具にはチャーシューメンマが使用される。薬味野菜として元々は長ネギを使用していたが価格が高騰したため1983年(昭和58年)に玉ネギへと切り替えたところ、かえって好評となった[1][5]

名称にはぶれがあり燕背脂ラーメン[1][12][13][14]のほか、燕ラーメン(つばめラーメン)[7][15][16]:36[17][18]燕系ラーメン(つばめけいラーメン)[19][20][21][22]とも呼ばれる。燕三条背脂ラーメン(つばめさんじょうせあぶらラーメン)[23][24][25]燕三条系ラーメン(つばめさんじょうけいラーメン)[2]:187[4][26][27][28]と呼ばれることもあるが、新潟県のタウン情報誌は、発祥が燕市であることから三条市を含めた名称は誤解であり、燕三条系ではなく燕背脂ラーメンが正式だと指摘している[29]。単に背脂ラーメンと呼ばれることもある[注 9]

石神秀幸による新潟四大ラーメンの分類では燕ラーメン[18]燕三条流背脂ラーメン[16]:34または燕三条背脂ラーメン[8]:109-111として紹介されている。また、大崎裕史は、著書で新潟の四大ご当地ラーメンの背脂系として紹介し[4][11]武内伸新潟の地ラーメンと評している[30]

同じく背脂ラーメンである「背脂チャッチャ系[注 10]」や「ますたに系」よりも古い歴史があるといわれている[4][注 11][注 12]

三条市に本社のあるタクシー会社「中越交通」は、貸し切りで運転手がおすすめする背脂ラーメンの店を案内する「燕背脂ラーメンタクシー」を運行している[33]

2022年令和4年)には、文化庁が選ぶ「100年フード」の「未来の100年フード部門」に、燕背脂ラーメンが選ばれた[34][35]

代表的な店舗

  • 杭州飯店[2]:186-187[4][5][6][11][36]
    徐昌星は「福来亭」の創業後、2号店「杭州飯店」を開き、こちらに本店を移した[8]:110
    徐昌星の息子である徐勝二が2代目、孫の徐直幸が3代目として継いでいる[3][5]
  • 福来亭(閉店)[4][11]
  • まつや食堂[4][11]
  • 酒麺亭 潤[4][11]

脚注

注釈

  1. ^ 昭和3年に長崎に来日。当時24歳[1]。京都の新福菜館の徐永俤の親戚にあたる[2]:186
  2. ^ 徐勝二(徐昌星の息子)は、「この味になるまで、どんな苦労がありましたか」との問いに、「今の麺の太さは、私が入店した昭和39年当時の2倍くらいあります。当時は出前だけで800杯くらいあったんですよ。1軒の工場で150杯とか注文くれたんですね。残業する時の夕飯でした。ちっちゃい店だったんで、一度にそんな数は当然できません。申し訳なかったけど、早いところは夕方4時過ぎから配達させてもらって、遅いところは9時ころだったかな。そんな時、出前していてやっぱり麺が伸びちゃうんですよ。せっかくならおいしいものを食べてもらいたいじゃないですか。だから、少しづつ麺を太くしていきました。当然父からは、怒鳴られましたね。伸びにくい麺でおいしくしたい。そんなの無理なんですよ。太い麺を短時間でゆでるために、コークスを練炭に混ぜて使ったりもしました。そしたら今度は釜が壊れちゃうんです。その時も父に怒鳴られましたね。そんな風にけんかしながら納得のいくものを作ってきました。」と答えている[1]
  3. ^ 石神秀幸は、諸説あると前置きしたうえで、「時間が経ってもスープが冷めないようにする蓋の役割」、「当時は栄養不足の子供が多かったので、コストをかけず栄養価を高めるために、肉屋に捨ててあった背脂を浮かべた」、「麺を太くすると、スープも負けないよう味を濃くせざるをえない。そのしょっぱさを中和するために、甘みのある背脂を浮かべた」という3つの説を挙げている。[8]:109-110
  4. ^ 徐直幸(徐昌星の孫)は、「より満腹感を得てもらうために背脂を取り入れた」とし、「結果的に…冷めにくくなったというメリットを得ることもできました」と述べている[10]
  5. ^ 徐勝二は、「昭和30年代、市内の食堂やラーメン店にラーメン作りの指導をしていたそうですね」との問いに、「そうなんですよ。父は弟子がたくさんいました。自分だけの味にするんじゃなくて、『みんなでレベルアップして、いいものを作っていきましょう』、という人だったんですね。みんなでそうやって技術を高めてきたおかげで、燕のラーメン屋はどこの店に入ってもおいしい。でもその弟子だった人も亡くなっちゃった人が多くなってきて。2代目とか3代目で続いているとうれしくなりますよね。」と答えている[1]
  6. ^ 岩岡洋志は、「燕市内でこの背脂を使ったラーメンが多いのは、『福来亭』は飲食業の発展のために組合をつくり、技術を隠さずに他の飲食店にも教えていたから。『福来亭』で仕事をしていた『中華亭』や『龍華亭』の店主が取り入れ、他に教えたという説もありますし、もしかしたらこのラーメンを教わった新潟県出身者がこの背脂を全国に広めたのかもしれない」と仮説を立てている[2]:186-187
  7. ^ 燕市の広報誌は「煮干しが効いた背脂入りのしょっぱいスープ。背脂がまろやかさと甘さを演出。口の中をさっぱりさせてくれるみじん切りの玉ねぎ。加水率が高く伸びにくい極太麺。定番、甘口のメンマ。脂っこくなく、スープによく合うチャーシュー。」と解説している[1]
  8. ^ 大崎裕史は、「強烈な背脂だけではなく、油も多いこと。そして、自家製の麺が東京の『ラーメン二郎』並みに極太麺であること。そして、そこに煮干しが効いていることである。極太麺・背脂・煮干し、というとミスマッチな組み合わせと思ってしまいがちだか…食べてみると意外とクセになる。煮干し好き・二郎好き・こってり好きを包含するラーメンなので、東京に進出しても人気店となる素養を持っていると思う。」と述べている[11]
  9. ^ 新潟4大ラーメンが注目され始めた2005年頃には「背脂」ラーメンと雑誌に紹介されていた[6]
  10. ^ でき上ったラーメンの丼の上で、加熱して柔らかくなった豚の背脂を、ザルに入れて「チャッチャッ」と振り、ラーメンに脂のトッピングをするところから、こう呼ばれる[31]
  11. ^ 石神秀幸が監修した漫画『ラーメン発見伝』も「燕市の背脂ラーメンは、東京の〝背脂チャッチャ系〟ラーメンなんかよりずっと古い歴史を持っている」としている[32]
  12. ^ 大崎裕史は、「背脂といえば、東京の『ホープ軒』をはじめとする背脂チャッチャ系や、京都の『ますたに』を本流とするますたに系がある。どっちが元祖だ、という論議もあったが、新潟には、その両地区よりも古くから背脂系があるのである。」と述べている[11]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 燕の背脂ラーメン発祥80年」『広報つばめ』平成25年11月1日号、燕市、2013年11月1日、2-5頁、2025年6月28日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g 岩岡洋志『ラーメンがなくなる日』主婦の友社〈主婦の友新書〉、2010年12月10日。ISBN 978-4072756591 
  3. ^ a b c [木枯らし2024]不屈の元祖・燕背脂 火事から再起 守り抜いた味」『読売新聞』2024年12月20日、夕刊、9面。2025年7月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 大崎裕史『日本ラーメン秘史』日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2011年10月11日、187-188頁。 ISBN 978-4532260811 
  5. ^ a b c d e 長橋亮文「新潟名物・燕の背脂ラーメン 進化の裏にある職人への愛」『朝日新聞デジタル』2020年11月23日。2025年7月23日閲覧
  6. ^ a b c d e 『新潟のラーメン屋』株式会社ジョイフルタウン〈月刊新潟タウン情報 MOOK〉、2005年、88頁。 
  7. ^ a b c 辻谷秋人「燕「おにあぶら」紀行」『Dancyu』2007年3月号、プレジデント社、2007年、68-72頁。 
  8. ^ a b c d e 石神秀幸『ラーメンの真髄』KKベストセラーズ〈ベスト新書〉、2007年7月25日。 ISBN 978-4584121542 
  9. ^ 「ご当地ラーメン選手権」『大人のラーメングランプリ245杯 : 完全保存版』ベストセラーズ〈Best mook series ; v.35. 別冊一個人〉、2007年5月20日、123頁。 ISBN 978-4-584-20335-4 
  10. ^ 燕市観光協会 2022, p. 3.
  11. ^ a b c d e f g 大崎裕史『無敵のラーメン論』講談社、2002年3月20日、181頁。 ISBN 978-4061495951 
  12. ^ 燕三条でモノづくり&寺泊で食旅」『にいがた観光ナビ』公益社団法人 新潟県観光協会。2025年7月23日閲覧
  13. ^ 田中貴「Sunny Day Service 田中貴の新潟拉麺大学」『月刊新潟Komachi』2020年1月号、ニューズ・ライン、2020年、201頁。 
  14. ^ 新潟5大ラーメンはこれを食べるべし! 地元情報誌『Komachi』が選ぶ10店」『新潟のつかいかた』新潟県広報広聴課、2018年6月7日。2025年7月23日閲覧
  15. ^ 「36店のマップ、品切れ続出 太めん、背脂…人気の「燕ラーメン」」『朝日新聞(新潟版)』2008年9月17日、朝刊、24面。
  16. ^ a b 「新潟ラーメン王国すべて見せます!」『月刊新潟Komachi 新潟市・下越版』2007年10月号、ニューズ・ライン、2007年。 
  17. ^ 「新潟新旧ローカルグルメ大図鑑」『月刊にいがた』2012年7月号、ジョイフルタウン、2012年、45頁。 
  18. ^ a b 「ラーメン王・石神秀幸 新潟ご当地ラーメン徹底解剖!」『新潟WEEK!』2014年12月5日号、ニューズ・ライン、2014年、27頁。 
  19. ^ 『ラーメンWalker新潟2021』KADOKAWA〈ウォーカームック ; No.1053〉、2020年10月9日、4頁。 ISBN 978-4-04-896881-2 
  20. ^ 「うまいラーメン大賞 こってり編」『新潟WEEK!』2013年12月6日号、ニューズ・ライン、2013年、63頁。 
  21. ^ 大地哲司『グルメライタ-・大地哲司の独断的にいがたラ-メン列伝Returns』ニュ-ズ・ライン〈週刊新潟ウィーク増刊 ; 平成14年3月9日号〉、2002年3月15日、120頁。 
  22. ^ 「野良屋さんのラーメン見聞録」『月刊にいがたタウン情報』2009年6月号、ジョイフルタウン、2009年、106頁。 
  23. ^ 地球の歩き方編集室『地球の歩き方』 W32、Gakken〈旅の図鑑シリーズ〉、2024年2月20日、12頁。 ISBN 978-4058021590 
  24. ^ モトツーリング編集部「全国王道ラーメン完全網羅ガイド」『モトツーリング』2023年3月号、内外出版社、2023年3月、86-87頁。 
  25. ^ 新潟県 県民生活・環境部 新潟暮らし推進課「にいがたじかん (PDF)新潟県庁、2019年12月20日、4頁。2021年11月13日閲覧
  26. ^ 新潟郷土史研究会『新潟「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない新潟県の歴史を読み解く!』実業之日本社〈じっぴコンパクト新書〉、2015年1月15日、147頁。 ISBN 978-4408111155 
  27. ^ 燕市内36のラーメン店の「自慢の1杯」収録したラーメンマップ「燕ラーメン 三十六カ所*お遍路マップ」完成」『ケンオー・ドットコム』2008年8月27日。2008年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月23日閲覧
  28. ^ 田中貴「燕三条系ラーメン」がじわじわと勢力を拡大中! 田中 貴も足繁く通う“背脂煮干し”の実力とは?」『GetNavi web』2017年7月7日。2025年7月23日閲覧
  29. ^ 「新潟ラーメン最強宣言」『新潟WEEK!』2017年1月号、ニューズ・ライン、2017年、47頁。 
  30. ^ 「総力特集 大人気ラーメンの秘密」『月刊新潟Komachi 新潟市・下越版』1999年12月号、ニューズ・ライン、1999年、15頁。 
  31. ^ 矢都木二郎『麺屋武蔵ビジネス五輪書』学研プラス、2017年3月14日、63頁。 ISBN 978-4054065390 
  32. ^ 久部緑郎 & 河合単 2002, p. 178.
  33. ^ 「麺食い・列島味便り:背脂ラーメン 新潟県燕市 職人向け、がっつりした味」『毎日新聞(愛知版)』2019年2月26日、朝刊、20面。
  34. ^ 100年フードデータベース (PDF)」『食文化あふれる国・日本』文化庁。2025年7月23日閲覧
  35. ^ 新潟5大ラーメンの先陣を切って燕・背脂ラーメンが文化庁「100年フード」に認定」『ケンオー・ドットコム』2022年4月27日。2022年4月27日閲覧
  36. ^ 一個人編集部 編『大人のラーメン大賞』KKベストセラーズ、2008年2月10日、137頁。 ISBN 978-4-584-16589-8 

参考文献

  • 久部緑郎河合単ラーメン発見伝』 6巻、小学館、2002年、172-180頁。 ISBN 4-09-185616-0  - 杭州飯店をモデルにした「剛州飯店」が燕三条流・背脂ラーメンの店として紹介。
  • 燕背脂ラーメン今昔物語」『燕背脂ラーメンMAP』燕市観光協会、2022年。2025年9月13日閲覧 - 燕麺類食堂組合と燕商工会議所の協力で作成された、燕背脂ラーメンの歴史をまとめたヒストリーブック。

関連項目


燕三条系ラーメン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:53 UTC 版)

らーめん潤」の記事における「燕三条系ラーメン」の解説

燕三条系ラーメンは、燕市三条市中心として広まっているためそう呼ばれており、:188また、新潟5大ラーメンの中で言うところの背脂系とも呼称される。 他には、「長岡生姜しょうが醤油」「新潟濃厚味噌」「新潟あっさり醤油」「三条カレー」があるが、県域が広いためメディア取材しやすく、取り上げられやすい範囲新潟県でも中越下越偏ってしまっているためである。[要出典] 燕三条系ラーメンの特徴は、煮干し効いたしょうゆ味しょっぱいスープに背脂加えられており、麺はうどんのように太い極太麺、具材チャーシューメンマ、そして大きめに刻まれ玉ねぎ入っているという点等が挙げられる。 燕三条系ラーメンの元祖は、昭和初期燕市創業した福来亭であるが、閉店している。ここから出た燕市杭州飯店昔ながら代表的な人気店である:188。燕三条系ラーメンの元祖である福来亭の創業昭和7年頃。屋台営業からその歴史が始まる。店主は徐昌星。当時の燕は、現在の朝日町幸町付近に金属加工工場数多くあり、徐氏は中央通り屋台構える。火力の弱い屋台では細麺しか茹でることができず、麺に合わせるスープは現在とは全く違ってさっぱりした薄味翌年昭和8年には燕駅近く穀町店舗構える。 今(杭州飯店)の味になり始めたのは昭和12年頃。汗を沢山かく工場で働く人からの要望で、少しずつしょっぱくしていった研究改良重ねた結果、ただしょっぱいだけではなく味に甘味まろやかさを出すために、中国では一般家庭でも料理に使う背脂入れることを思いつくことになる。 昭和30年代には出前だけで1日800杯に達したため、届け時間長くなると麺が伸びてしまう。そこで、より伸びにくい麺にするために、小麦粉原料中力粉から強力粉変え、今の太さに近づいてきたらしい。 なお、徐昌星は、その技術自分のものだけにはせず「燕」のものとするために、同業者である他店にも技術指導したとされる。 燕三条系ラーメンは、背脂チャッチャ系元祖との仮説あり。

※この「燕三条系ラーメン」の解説は、「らーめん潤」の解説の一部です。
「燕三条系ラーメン」を含む「らーめん潤」の記事については、「らーめん潤」の概要を参照ください。

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