滝之湯堰大河原堰とは? わかりやすく解説

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滝之湯堰・大河原堰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:07 UTC 版)

北山村 (長野県)」の記事における「滝之湯堰・大河原堰」の解説

江戸時代坂本養川開削し、現在も茅野市域の耕地灌漑使用されている農業用灌漑水路の滝之湯堰(たきのゆせぎ・1785年開削北山・湖東・豊平316区灌漑)や大河原堰(おおがわらせぎ・1792年開削玉川・宮川212区灌漑)の2大堰はじめとする大小の堰が、村内滝ノ湯川および渋川などの各川から取水している。戦時中から戦後にかけて、村内音無川上流域蓼科大池(現・白樺湖)が、滝ノ湯川上流域蓼科湖それぞれ造営され、堰に流下させる水の水温上げて水稲増産図った八ヶ岳山麓山浦地方では、江戸時代にすでに本流水量分水限界達し、堰の新設不可能となる一方明治以降管理高島藩から流域各区移管され、堰の上流と下流、それに複数の堰の間で、取水割合や堰の修理経費をめぐる争議水争い」が多発茅野市発足後昭和末期に至るまで、流血死者をともなう無数の紛争裁判続いた。 滝之湯堰では源流湯川耕地湯川区)など上流耕地下流耕地との間で1888年以降小競り合い暴行事件繰り返し発生したため、1889年には湯川耕地を除く下流15耕地巡査1人派遣上諏訪警察署請願し1893年まで巡査常駐して警備行った。また1895年には下流湖東豊平8区が、上流区である北山村各区民の水利妨害による暴力湖東豊平村区民死亡した場合8区合同弔慰金200円を支給することなどを定めるなど、激し紛争続いたこうした対立解消するため、1890年には流域16区分水割合定めた規定全面的に見直したほか、1893年には滝之湯堰普通水組合1951年、滝之湯堰土地改良区改称)を設立して1897年各区ごとの組合費納入算定基準改定。ともに現在に至るまでこの取り決め存続している。 一方滝ノ湯川渋川取水し、村外灌漑域とする大河原堰は、延長20kmにおよぶため常に水量不足が問題となり、灌漑各区間での水争い多発していたが、源流北山村内では、両河川で共に大河原堰より下流取水している滝之湯堰流域各区との間で分水割合を巡る争議がたびたび発生した横谷事件 - 1948年田植え期から少ない日が続き同年6月には大河原堰、滝之湯堰とも末端ではほとんど流れてこない状況となった村内横谷地籍渋川にある横谷渓谷大河原揚水地点乙女付近)では6月10日ごろから、渋川大河原堰に取り込もうとする大河原関係者玉川・宮川村)と、それを阻止しようとする滝之湯堰関係者北山・湖東・豊平村)が集結し、約1週間わたって衝突した6月13日夜に出動した警官隊目前投石による死者1名を出した衝突続き6月17日夜、豊平村役場で滝之湯堰側の北山・湖東・豊平の3関係者対策会議開いていたところ、大河原堰側の玉川・宮川両村民庁舎内に乱入して大論争始まった。しかしこのとき突如大雨降り始めたため、水不足解消したことを悟った両堰関係者解散騒動は自然収束した

※この「滝之湯堰・大河原堰」の解説は、「北山村 (長野県)」の解説の一部です。
「滝之湯堰・大河原堰」を含む「北山村 (長野県)」の記事については、「北山村 (長野県)」の概要を参照ください。

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