滝乃川学園の経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 10:18 UTC 版)
知的障害児教育・福祉の専門機関となった滝乃川学園は、園児・園生への教育機能の他、成人した園生の就業場所の確保、学園の財政基盤の確立のため、農場や印刷所などの事業部門が設置された他、研究所や保母養成所なども相次いで設置され、総合福祉施設としての展開をみた。一方、常に財政問題を抱え、運営は厳しかった。 亮一は、36歳の時、旧知の間柄で、学園の支援者でありかつ園児の保護者でもあった渡辺筆子未亡人と結婚する。筆子夫人は、男爵渡辺清の長女で、東京女学校を卒業した才色兼備の女性であった。筆子夫人は、欧州への留学経験があり、華族女学校(後の女子学習院)の教諭をつとめ、静修女学校(後の津田塾大学の前身となった一つ)の校長も務める近代女子教育の先駆者であった。筆子夫人の内助を得て、亮一の事業も益々発展していく。
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