清刊本と道教的神秘化
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「西遊記の成立史」の記事における「清刊本と道教的神秘化」の解説
満洲人の清朝が成立し、1644年に明を駆逐。『西遊記』も明代とはまた若干異なった進化をみせる。康熙・雍正・乾隆年間にかけて言論統制が進み、反満洲的もしくは邪教的な書と見なされた著作は多くが禁書となった(特に雍正帝時代の筆禍事件は凄まじく「文字の獄」と呼ばれる)。出版業者は官憲による小説禁圧を回避するため、小説類の生き残り策を模索する。『西遊記』も内容に道教的色彩を加えて、黄太鴻・汪象旭が康熙初年に『新鐫出像古本西遊証道書』(以下『西遊証道書』)という書名で新たな刊本を刊行した。 『西遊証道書』では禁圧を避けつつ、多くの人々に売るための様々な工夫を行っている。まず元代の儒学者・詩人である虞集に仮託した天暦己巳(=1329年)付けの「原序」の中で、『西遊記』の作者をチンギス・カンに仕え、神聖視されていた道士・丘処機(長春真人)であると称した。また冗漫な長い詩詞や挿絵を削るなど物語全体を簡略化し、書冊もハンディな形にして、出版上のコストダウンを追求。さらに明刊本では削除されていた、三蔵法師の出生にまつわる父母の災難物語「江流和尚」説話を復活させて、唐太宗や孫悟空らとの因縁に呼応するように改編し、西天取経と唐三蔵の前世とを関連づけ、西天取経の関係者がすべて因果の法糸によって結ばれているように再編した。こうして『西遊証道書』は、明刊本よりも安い上に内容が増え、しかも伝説の道士長春真人のお墨付きというキャッチフレーズで販売されたため、多数の読者の歓迎を受け、広く流布することになる。 『西遊証道書』の影響はきわめて大きかったが、明代の版本より文字量が減って内容の軽くなったことに不満を持つ読者もいた。そこで『西遊証道書』を踏襲しつつも、明の李卓吾本の要素を参考して、省略字句数をバランスのとれた量に戻し、整理・編集されたのが康熙33年(1694年)刊の『西遊真詮』(1巻)である。猪八戒が道教の三清の像を糞壺に投げ込む箇所(世徳堂本では第44回)を池の中へ入れるように改めるなど、全体的に破天荒さを抑制して常識的な編集を行い、好評を得た。このため『西遊真詮』は清代を通して最も流布した版本となった。現在にいたるまで最も流通しているテキストは『西遊真詮』である。清代に特定の刊本が普及し、他の刊本が徐々に整理・淘汰されるのは『三国志演義』(毛宗崗本)や『水滸伝』(金聖歎本)でも同じ傾向が見られる。こうして明刊本は廃棄・消尽でほとんど国内から消え、日本など外国のみに残存する状況となった。 このほか清代中期、仏教物語に道教的神秘性の装いを一層深め、道教の経典のような体裁をとった劉一明『西遊原旨』(1810年)や、『西遊証道書』の後継テキストとなる『西遊証道奇書』『西遊真詮(前述の同名書とは異なる十巻本)』などの名称で、多少の改編や省略が加えられながら様々な『西遊記』が刊行された。繁本系では世徳堂本を基本に陳光蕊故事を挿入した張書紳『新説西遊記』(1749年)も出ている。
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