清化(タインホア)西部の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:23 UTC 版)
「藍山蜂起」の記事における「清化(タインホア)西部の戦い」の解説
当初の兵力はまだ少なく、藍山義軍は困難な戦いを強いられた。明軍は何度も進攻し、藍山の本拠地を包囲した。義軍は三度にわたって至霊山(タインホア省ランチャイン県)に撤退しなければならなかった。1418年なかば、明軍は至霊を攻略して黎利を捕らえるために兵を動員した。危急の状況を打開するべく、黎利に変装したムオン族出身の黎来が、決死隊を組織して明軍の包囲を破り、自らを犠牲にして黎利を逃した。 1421年末、明軍は10万の兵力を動員して、義軍の根拠地に大規模な包囲攻撃を仕掛けた。黎利は再び至霊山に撤退せざるを得なくなった。義軍に深刻な食糧不足が起こり、黎利は象や愛馬を含む馬などを屠って軍を養わねばならなかった。1423年の夏、黎利は暫定和平を提案し、明軍に受け入れられた。1423年5月、義軍は藍山の根拠地に戻った。 1424年末、黎利を買収する工作が不調に終わったため、軍を整えた明軍は、義軍に対して攻勢をかけた。
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