武蔵国鶴見寺尾郷絵図とは? わかりやすく解説

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武蔵国鶴見寺尾郷絵図

主名称: 武蔵国鶴見寺尾郷絵図
指定番号 195
枝番 00
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1幅
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  本図は、楮紙六紙を貼り継いで西を天にして、「寺」を中心として寺尾郷の台地大きく描き東側鶴見郷、東海道鶴見川北側吉成【よしおり】郷、南側に「子安【こやす】郷」「入江【いりえ】」などの周辺範囲内(旧橘樹郡内、現横浜市鶴見区域)に存する小池堂」「子ノ神」などの建物田地景観などをも表現している。
 本図作成目的は、線と墨線の二種類の線と「本堺堀」「新堺押領」という記載から堺相論に際して作成されたもので、作成主体は「寺」と想定できる。寺は正面三間で太いと縁つきの建物として描かれ屋根茶色檜皮【ひわだ】葺を示している。台地東側から入り込む谷の最奥部立地していたことが知られ寺谷【てらたに】の谷頭現地比定することができる。また「本堺堀」線は、寺を中心にして溝・堀・谷と台地との線に引かれており、強調するために墨線の上線を重ね書きしている。この台地と谷とを画する本堺堀の線が、本来の寺領範囲を示す線である。「新堺押領」線は墨線を太め書き、さらに道を示す橙色の線が引かれている。押領箇所寺領各々に関する墨書は新堺押領線を対称軸として記されていることが知られる押領者のうち、「寺尾地頭阿波國守護小笠原蔵人太郎入道」がおそらく中心人物で、『尊卑分脈そんぴぶんみゃく】』から小笠原長義ながよし】に比定されるものの、「師岡給主但馬次郎」「末吉領主三嶋東大□【(夫カ)】」の人物像不詳である。
 観応元年一三五〇)九月二十四日の上憲顕【のりあき】が「正統塔主」に宛てた奉書ほうしょによれば当該時期まで寺尾郷をめぐる相論展開されていたことになる。また、本図紙背には「建武元 五 十二 正統[ ]圖」「寺尾地圖」という追筆になる裏書紙継目裏花押などが認められる。さらに「正統」は応安四年(一三七一)隼人佑某禁制きんぜい】に「建長寺正統武蔵国鶴見郷同新市事」とあることから、南北朝期には建長寺塔頭【たつちゅう】であり、鶴見寺尾両郷所領としていたと考えられる。以上のことから、本図成立時期は南北朝初期であり、建武新政期に領家りょうけ正統庵が寺領回復意図して作成し、また訴訟のための絵図であった考えることができよう
 このように本図台地地形谷地形を明瞭に示すとともに建物集落、川と池、道路と橋耕地などの描写地名人名など記載明瞭であるという特徴有し併せて関東地方における集落水利耕地様相を描く唯一の絵図として貴重である。
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