正服・勤務服・礼服
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「軍服 (朝鮮半島)」の記事における「正服・勤務服・礼服」の解説
韓国軍では制服に相当するものを正服(정복)と呼称する。四季のはっきりした温帯に属する韓国では夏正服と冬正服の2種類が存在する。冬正服は国防警備隊の頃から継承され1960年代までは茶色であったが、70年代以降ダークグリーンとなった。夏正服は米軍のトロピカルドレスの影響を受けた明るいカーキ色であったが、1980年1月9日以降、冬正服と同色となっている。下士卒用も意匠は同じだが、憲兵、軍楽隊、儀仗隊を除き徴兵された兵士には支給されない。1967年に将校との区別化のため折り襟となった事があったが、71年に再び開襟に戻された。 兵科章は襟の下部両側に付ける。将校は米軍の「US」に倣い「대한」(大韓)の徽章を襟上部に付けていたが、朝鮮戦争以降は見られなくなった。士官は袖に黒のパイピングが入り、尉官は3cm、佐官は4cm、将官は5cmとなる。副士官は精勤章を付ける。米軍の影響で2017年改定により礼服と統合されることになり、礼服と同一の袖章が追加される事となった。 正帽(정모)には1962年夏ごろより顎紐と庇部分に金色の装飾があしらわれるようになる。庇の装飾は、将官はムクゲの花2輪、佐官はつぼみ8個、葉20枚、つぼみ6個、葉14枚である。尉官はなし。将官は1975年以降腰回りにも装飾が追加され、1979年にいったん廃止されたが1980年1月9日の改定で復活した。またこの時に装飾が金属製となり、顎紐が金色となった。 女性正服は1959年に制定され、当時の正帽はギャリソンキャップであったが、1963年以降ハイバック型となった。 礼服(예복)は、夏季は白、冬季は黒となっておりエポレットに似た先の丸い形状の肩章を付ける。基本的に将官や駐在武官にしか支給されない。1961年7月1日の「国防第4672号」制定ではショルダーノッチ型であったが、1963年3月18日よりショルダーボード型に変更。その後、1967年1月9日「大統領令第2869号」改訂、1971年2月25日「大統領令第5538号」、1975年9月30日「大統領令第7837号」を経て徐々に丸みを帯びるようになり、1980年1月9日「大統領令第9713号」で現在の形となった。 儀仗兵や軍楽兵の礼服に相当するものとして行事服(행사복)がある。ともに詰襟だが、儀仗兵は上衣が灰色、軍楽兵は赤となる。軍楽兵は第5共和国時代には折襟もあった。礼砲兵は軍楽兵と同様だが帽子とズボンが黒。 初期の制服。米軍と同じシャツやアイクジャケットなども混在している。 張暻根(朝鮮語版)、申性模、丁一権(1950年) 初期の制服(李亨根、1951年11月) 夏正服(朴正煕、1963年8月) 旧正服(尹誠敏(朝鮮語版)大将、1982年5月) 陸軍大将(金泰栄)。 陸軍大将。右側の将官(李哲徽大将)は袖に第2軍のパッチをつけ、また肩には指揮官であることを示す緑のラベル、胸には将官指揮官徽章を佩用(2009年) 女性用正服(2014年3月) 改定後の陸軍統合正.礼服(2017年6月)正服形。 統合正.礼服の大将(金勇佑(朝鮮語版) 陸軍参謀総長、2017年9月)礼服形。 まだ礼服用ワイン色のネクタイは普及されていなかった。 勤務服の中尉(全斗煥、1957年10月) 旧夏勤務服(黄永時(朝鮮語版)大将、1982年7月) 現夏勤務服(張駿圭(朝鮮語版)大将、2017年5月) 冬勤務服(金相基大将、2012年1月) 冬礼服の大将(金曜煥、2014年10月1日) 夏礼服の将官(2012年9月) 礼装の陸・海・空・海兵隊軍人ら 行事服の軍楽隊(2013年10月1日) 行事服の儀仗兵(2013年10月1日)
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