歌唱史
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前述の通り1936年(昭和11年)の中野忠晴による創唱を吹き込んだSP盤は一般流通しなかったため、1リーグ時代から2リーグ分裂後の1960年代までは阪神ファンの間でもそれほど広く愛唱されていた訳ではなかった。 コロムビアでは1961年(昭和36年)の球団名変更に合わせて若山彰とコロムビア合唱団による新録のカバー(PRE-1133)を製作し、このカバー盤が甲子園球場での阪神戦開催時に演奏されるようになったが、朝日放送(ABC)アナウンサーの中村鋭一が球場へ通い詰めて歌を覚え1971年(昭和46年)以降のプロ野球シーズンで阪神が公式戦で勝利した翌朝にABCラジオの生ワイド番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で歌唱するようになった。同番組が近畿広域圏で高い聴取率を獲得したこと相まって1970年代半ばには多くのファンから歌の存在が認知されるようになり、この伝統は後継番組(『おはようパーソナリティ道上洋三です』→『おはようパーソナリティ小縣裕介です』『おはようパーソナリティ古川昌希です』)へ引き継がれている。広く知られる通称の「六甲おろし」も、中村が歌い出しの部分から考案したとされる。1972年(昭和47年)にはテイチクレコードが中村の歌唱によるカバー盤(初回盤A-89、再発盤RS-96)を発売し、1974年(昭和49年)に10万枚以上のヒットを記録、1991年(平成3年)にはCDシングル(TEDA-15278)でも再発されている。 1980年(昭和55年)にはビクター音楽産業(のちJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が立川清登の歌唱で“球団公認盤”と銘打って変イ長調、小沢直与志の編曲によるシングル盤(17VP-2071)を発売し、このバージョンが球場で流されるようになった。21年ぶりのリーグ優勝と球団史上初の日本シリーズ制覇を達成した1985年(昭和60年)には関西のみならず全国的なフィーバーで古関の代表曲としても知れ渡るようになり、1992年(平成4年)には「六甲おろし 阪神タイガースの歌」の表題でシングルCD(VIDG-10007)として再発されてファンの間で“正調”の扱いを受けてきたが、1999年(平成11年)に廃盤となった。その後、ファンの待望の声に応えて2005年(平成17年)にビクターから期間限定で発売されたコンピレーション・アルバム『大阪ソウルバラード2005』(VICL-61769)に収録され、2015年(平成27年)には立川のベスト盤『愛唱歌をどうぞ』(VICL-70153)のボーナス・トラックとなっている。 球場で立川の歌が使われなくなってからは、1992年(平成4年)にコロムビアが発売したCDアルバム『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』(COCA-10157)に収録された唐渡吉則歌唱のバージョンが代用された。行進曲風の調子が和らげられ、歌謡曲風(ト長調)にアレンジされていたが、毎日放送が制作に関わっていたことから問題になり、球場では伴奏だけのものを使用することになった。なお、阪神甲子園球場では、球団のマスコットであるトラッキーのアニメーションとともに、歌詞がスコアボードに映される。ソフトバンク、楽天、ロッテ、および阪神を除くセ・リーグ5球団のビジターゲームにおいて7回攻撃前に流れる「六甲おろし」は、これまで通り前述の唐渡の歌唱バージョンが流れている。 その一方で、2020年(令和2年)2月14日から2週間限定で公開されている阪神球団85周年記念の公式ドキュメンタリー映画『阪神タイガース THE MOVIE 〜猛虎神話集〜』(製作:『TIGERS THE MOVIE』製作委員会、配給:KADOKAWA)では、2017年(平成29年)に87歳で永眠した中村が生前に歌唱したバージョンの音源が使われた。
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