曲の起源と派生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 05:06 UTC 版)
「アムール川の流血や」の記事における「曲の起源と派生」の解説
声楽家・歌唱史研究者の藍川由美は、1899年(明治32年)に出版された鼓笛喇叭軍歌実用新譜にある永井建子の「小楠公」が原曲であると指摘している。それより後の 1901年(明治34年)に発表された「アムール川の流血や」を栗林の作とすることは困難である。 ただし、軍歌「歩兵の本領」、メーデー歌「聞け万国の労働者」が「小楠公」から譜をとってきたのか、あるいは一度「アムール川の流血や」を経由したものなのかはなお検討を要する。 当時は、学校の校歌や応援歌は「嗚呼玉杯調で」「アムール調で」とされることが多かったため、この旋律は一高の曲として解されて全国に広まったと推測される。一高内では「征露歌 (ウラルの彼方)」に旋律が使われた。他にも大阪府立北野中学校(現・北野高校)の応援歌第一「澱江春の」や滋賀県立彦根中学校(現・彦根東高校)の応援歌などにも使用例がみられる。千葉県行徳小学校の応援歌にも使用された。
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