メーデー歌とは? わかりやすく解説

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メーデー歌

読み方:メーデーカ(m^edeka

メーデー歌われる

季節 春、夏

分類 人事


メーデー歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 06:44 UTC 版)

メーデー歌(メーデーか)は、日本の労働歌。歌い出しから「聞け万国の労働者」とも呼ばれる。

概要

1920年(大正9年)に上野公園で開催されたメーデーで発表された歌[1]で、作詞は大場勇。曲は既存の旋律を流用したもので、「アムール川の流血や」や「歩兵の本領」の替え歌である。これらの曲の原曲は永井建子作曲の軍歌「小楠公」にさかのぼる。

作詞者の大場勇は、当時池貝鉄工所の従業員・労働組合員であり、メーデーで歌うための行進歌として歌詞がつくられた[2]。「アムール川の流血や」「歩兵の本領」で歌われていた旋律は、校歌や応援歌に流用されていたため全国的に有名であり、「インターナショナル」以上に広く知られた。

JASRACには、栗林宇一作曲として登録されている(栗林は「アムール川の流血や」の作曲者とされていた人物である)。旋律を同じくする「アムール川の流血や」と「歩兵の本領」は栗林宇一作曲、永井建子作曲の両方で登録されるという矛盾がある。「アムール川の流血や」と「歩兵の本領」の元歌は永井建子が1899年に出版した軍歌「小楠公」である[3]

聞け万国の労働者」は戦後もメーデーの時には耳にすることができた。近年では、チンドン楽団ソウル・フラワー・モノノケ・サミットがアルバム『アジール・チンドン』でカバーしている。

なお、北朝鮮でも、朝鮮人民軍功勲国家合唱団朝鮮語でカバーしている。

脚注

  1. ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、443頁。ISBN 4-309-22361-3 
  2. ^ 訃報欄 メーデー歌残し 大場勇氏が死去『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月26日、13版、23面
  3. ^ 2009年10月2日、日本経済新聞「文化往来」

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