次期支援戦闘機開発計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:39 UTC 版)
「F-2 (航空機)」の記事における「次期支援戦闘機開発計画」の解説
1982年(昭和57年)7月、国防会議において「昭和56年度中期業務見積」(56中業)が了承され、この中に初めて「次期支援戦闘機 (FS-X) 24機の整備」が盛り込まれた。F-1の後継機が昭和65年度(1990年度)より必要とされたからである。 日本における「支援戦闘機」隊の誕生は、F-104J/DJの整備により余剰となったF-86Fを再編制したことが始まりである。F-86Fは供与機180機とライセンス生産機300機の計480機を取得しており、供与機から45機を返還したほど過多であって、この問題に対処するために「支援戦闘機」隊が生まれたのである。最盛期の1965年(昭和40年)にはF-86F、F-86D、F-104J/DJあわせて19個飛行隊が存在し、このうちF-86Fは10個飛行隊を編成していた。 「支援戦闘機」の部隊としての「指定」は北部航空方面隊、中部航空方面隊、西部航空方面隊に各1隊ずつ行われたが、これらのF-86F飛行隊は支援戦闘飛行隊として再編制されたわけではなく、要撃戦闘飛行隊に「支援戦闘飛行隊としての任務を付与」する体裁をとっていた。つまり、あくまで本業は要撃戦闘であり、支援戦闘機部隊としての指定を受けていても対領空侵犯措置任務は継続して行っていた。この部隊数が1976年(昭和51年)10月に閣議了承された、平時における日本の防衛力を定めた「防衛計画の大綱」(防衛大綱)において決定された「支援戦闘機隊3個・所要機数約100機」の根拠となった。 もともと、F-1の耐用年数は3,500時間とされており、1990年(昭和65年:改元後平成2年)に最初の飛行隊が維持できなくなるとされ、56中業で後継機のFS-Xの調達が計画された経緯がある。しかし、それではFS-Xの国産には時間が足りなかった。そのため、1984年(昭和59年)12月、F-1の強度再検討より耐用年数が延長可能(4050時間まで)という報告がなされた。オイルショックの影響などにより、年間飛行時間が当初の見込みより少なかったこともあわせて、F-1の就役期間が当初の予定より延びて昭和72年(改元後平成9年:1997年)度となり、選定から配備まで10年の時間がとれることが見込まれた。 防衛庁は、F-1開発完了直後の1978年(昭和53年)から次期国産戦闘機を睨んで、運動能力向上機 (CCV)、コンピュータ支援による航空機設計システム、将来火器管制装置、戦闘機搭載用コンピュータ、5トン級戦闘機用エンジン等の研究を、予算を計上し研究開発を進めていたが、F-1の退役時期寿命見直しにより、その開発成果を戦闘機として実現する目処が立った。
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