次期旅客機YS-33の研究
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1966年(昭和41年)、日本航空機製造(日航製)では防衛庁向け戦術輸送機C-Xの計画が具体化していたが、同時にYS-11に続く民間機の研究のため、8月から航空審議会によって「次期民間輸送機のための研究」が始まり、通商産業省は1967年(昭和42年)の予算に2000万円を計上し、調査委託費を調達した。 1968年(昭和43年)3月には「90席前後のターボジェット旅客機」が発案された。開発費は150億円から160億円と見積もられ、これはYS-11の3倍にあたった。このため、開発準備のために2億円の補助金を拠出された。こうして計画は本格化し、日航製内に「YX開発本部」が設置されて、市場調査と基礎設計が行われた。 1969年(昭和44年)に計画は「YS-33」構想と呼ばれる3発ジェットエンジン(形態はDC-10やL-1011のようなもので、当時は双発や4発より燃費効率が良いと信じられていた[要出典])の旅客機となった。機体はYS-11の2から2.5倍の細胴で90席前後、1300m級の滑走路に着陸可能とした。開発費はさらに膨らみ、YS-11の4倍以上となる240億円と予想された。 さらに独自に市場調査を開始し、当時の市場動向からさらに大型化が必要であると見られたため、ストレッチタイプの計3機種を計画した。 YS-33-10:基準機の106席 YS-33-20:胴長の139席 YS-33-30:さらに胴長の149席 翌1970年(昭和45年)には市場動向の変化から、さらに三種の計画が追加された。 YX-B/C案:150席〜180席クラス YX-D案:200席から250席クラスの中型機 この中で、YX-Dは実現性が低いため、YS-33かYX-B/Cを優先して計画が進められた。低公害でハイテクノロジーの世界初の3軸式ターボファン、ロールス・ロイスRB.203 トレントを予定していたが、需要が見込めないとの理由で同社が開発中止したため、この他に適当なエンジンが見つからず、また航空機工業審議会においても、大きさが需要と合わないと判断されて白紙還元(中止)された。
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