梯子
★1a.天へ通ずる梯子。
『神曲』(ダンテ)「天国篇」第21~33歌 ベアトリーチェに導かれて土星天(第7天)まで昇って来た「私(ダンテ)」は、黄金の梯子がはるか上方へかかっているのを見る。「私」はベアトリーチェに励まされて梯子を登り、恒星天(第8天)へ入る。ついで原動天(第9天)・至高天(第10天)へと進む。
『創世記』第28章 ヤコブは旅の途中、ある所で石を枕に寝て夢を見た。1つの梯子(階段)が地上に立っていて、その頂は天に達し、神の使いが上り下りしていた。そして神が「あなたが伏している地を、あなたと子孫に与えよう」と告げた。
『丹後国風土記』逸文「速石の里」 大神イザナギノミコトが、地上から天(=高天原)へ通うために椅(はし=梯子)を作って立てかけた。それゆえ「天の椅立」という。ところが、神が寝ている間に梯子は倒れ伏してしまった〔*これが現在の「天の橋立」である〕。
『日本書紀』巻6垂仁天皇87年2月5日 五十瓊敷命(いにしきのみこと)は長年、石上神宮の神宝を管理してきたが、老齢になったので、「管理の仕事を、妹大中姫(おほなかつひめ)にまかせたい」と考えた。大中姫は、「か弱い女ですから、高い神庫(ほくら)には登れません」と断った。五十瓊敷命は「私が梯子を作ってやろう。梯子を使えば、神庫に登るのは難しくない」と言った。これが、「神の神庫も樹梯(はしたて)のまにまに」という諺の由来である。
★1c.雲まで届く梯子。
『蒙求』162「魯般雲梯」 楚王は技術者魯般に命じて、雲まで届くような高い梯子を作らせ、それを用いて宋の城を攻めた。宋では墨子が固く城を守り、楚軍は9度攻め寄せたが、宋は9度ともこれを撃退した〔*ここから「墨守」という言葉ができた〕。
『三国志演義』第39回 劉キが「古書をお目にかける」と偽って諸葛孔明を2階へ招き、「私は継母に厭われており、命も危ない。助かる方法を教えよ」と迫る。梯子が取り払われて、孔明は階下へ降りられない。孔明は「江夏地方への駐屯を父に志願し、継母から逃れよ」と教える。
『二十四孝』(落語) 孝行息子が酒を自分の身体に吹きつけ、蚊に「どうか母をささずに、私にたかって腹を肥やしておくれ」と頼んで寝た。これを聞いた男が「あっしなら2階の壁に酒を吹きつけ、蚊が喜んで2階へ上がったところで、梯子を外す」と言った。
『砂の女』(安部公房) 男が砂丘に埋もれそうな村を訪れ、砂の穴の底の、寡婦が住む民家に泊まる。縄梯子で下に降り、翌日帰ろうとすると、縄梯子は取り払われており、上がることができない。やむなく男は、寡婦と同棲生活を始める。後、子宮外妊娠した寡婦を病院へ運ぶ際、縄梯子が下ろされるが、その時すでに男は、穴の外へ出て行く気をなくしていた→〔宿〕7a。
★2c.二階から梯子を外すと、敵も登れないが自分たちも降りられない。
『平家物語』巻5「奈良炎上」 治承4年(1180)12月28日。平重衡率いる平家の軍勢が奈良へ攻め入り、興福寺等の衆徒と戦う。老僧・女・子供など千余人が東大寺大仏殿の2階に避難し、敵が登って来ないように橋(=梯子。「階段」という解釈もある)を外す。夜になって、平家が町に火をかける。2階の人々は梯子がないので降りることができず、皆焼け死ぬ。
★3.梯子の夢。
『御慶(ぎょけい)』(落語) 暮れの28日。貧乏長屋の八五郎が、梯子の上に鶴がとまっている夢を見る。「鶴は千年」で梯子は「八四五」だから、「鶴の一八四五番」の富札を買えば当たるだろう、と八五郎は考える。しかし大道易者に「梯子は下から上へ登るものだから、『八四五』でなく『五四八』。『鶴の一五四八番』が良い」と教えられ、そのとおりに買うと千両が当たる。八五郎は裃を新調し、「御慶、御慶」と言って年始まわりをする。
★4.人間梯子。
『聊斎志異』巻7-263「郭秀才」 郭という人が、山中で道に迷う。10数人の男が酒宴をしており、郭にも酒を勧める。彼らは「肩乗りの手品をお目にかけよう」と言い、まず1人が直立する。その肩の上に別の1人が乗って直立する。同様にして、次々に前の男の身体によじ登って肩の上に立ち、天まで届くほど高くなった。突然、10数人はそのまま地上に倒れ、1すじの長い道に化した。郭はその道を歩いて、帰ることができた。
*梯子が倒れて道になる→〔梯子〕1aの『丹後国風土記』逸文「速石の里」の「天の橋立」。
*地下から地上へ通ずる綱梯子→〔異郷訪問〕3の『河童』(芥川龍之介)。
*壁にかけた高い梯子を突き放す→〔熱湯〕3の『ノートル=ダム・ド・パリ』(ユゴー)第10編4。
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