本殿・拝殿の再建とは? わかりやすく解説

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本殿・拝殿の再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:37 UTC 版)

穴守稲荷神社」の記事における「本殿・拝殿の再建」の解説

昭和30年代に入ると、新たな地に遷座した穴守稲荷神社本殿拝殿再建を果たすべく、精力的な活動をはじめる。 1958年(昭和33年)の5月には、本殿・拝殿の再建構想持ち上がった当時近隣の神社再建続いており、富岡八幡宮蒲田八幡神社素盞雄神社などが立派に再建され穴守稲荷神社もそれに遅れてはならじと再建計画なされた7月には、「本殿拝殿再建基本案」が提出され検討入っている。 この案を元に建築家大岡實が早速境内調査し展望図を提示している。これを受けて3月には工期資材の手当てなどの詳細をつめ、夏には趣意書出来上がり早期着工を望む気運盛り上がっていった。しかし、資金計画などの詰め総予算確定などの作業もあり、本殿・拝殿再建工事着工されるには、1962年昭和37年9月まで待たなければならなかった。 そして1962年昭和37年9月29日には新社殿の起工式執り行われ工事順調に進み1963年昭和38年10月3日上棟式1964年昭和39年6月27日28日には現社殿がほぼ完成し遷座祭が斎行された。その時工事請け負った大成建設株式会社から京急穴守稲荷駅前に鋼鉄製の大鳥居を、元国会議員佐藤良平親族から社殿正面前に鉄筋コンクリート製の大鳥居それぞれ1基奉納された。 8月には新社殿完成を受け、旧仮社殿戦災被った天祖神社無償譲渡の上移築するなど、境内の整備一挙に進んでいった。 翌1965年昭和40年5月ついに念願社殿竣工し28日から3日間にわたり、落成奉祝祭を斎行した。連日降られ足元が悪い中、横綱の手入りをはじめ、宮内庁楽部による舞楽稚児行列飯能囃子などの後奉納演芸賑々しく執り行われた。また、折しも神楽殿復興計画持ち上がっており、神楽奉納行われたその後穴守稲荷神社では、「遷座記念祭」を毎年5月28日に斎行している。つまり、戦後間もなく現在地ご神体遷座した日ではなく新社殿の落成奉祝祭の日を記念して祭典行っているわけである。 社殿完成後の7月には、表参道入口築地市場東京魚河岸の手で石社号標奉納され12月には、切妻造拝殿入母屋造幣殿もでき、現在の穴守稲荷神社姿形整えられていったその後1968年昭和43年)には、遷座20年記念して、総銅板葺き神楽殿奥之宮竣工している。また、手狭になった社務所客殿裏に増築する計画起こり1970年昭和45年5月には鉄筋2階建ての新社務所完成している。こうした神社復興のための建築事業は、1974年昭和49年)に、宗教法人法施工20周年記念事業として御神輿庫、展示場納札所が竣工するまで続いた

※この「本殿・拝殿の再建」の解説は、「穴守稲荷神社」の解説の一部です。
「本殿・拝殿の再建」を含む「穴守稲荷神社」の記事については、「穴守稲荷神社」の概要を参照ください。

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