本殿・幣殿・拝殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 05:40 UTC 版)
現在の本殿は、約190年前に大名南部家より寄進されたものであるが、その前までは現在神楽殿となっている建物が本殿であった。当時現在の三八城公園あたりにあった法霊社が遷座するにあたり、現在地まで丸太などを転がしながら牽引してきたと言われている。 現本殿は造りが特徴的で、本殿階最上段大床に出ると外に出る扉があり、その扉を開けて一度回廊に出て、外陣東側の扉から外陣内に入るという形式である。しかしながら外陣正面にも御扉はあり開扉可能であるが、御鍵がなく、御鍵は外陣東側の外に取り付けられているという不思議な構造になっている。 拝殿も現本殿と同時期に南部家より寄進された建物である。 社殿全体は権現造の様式で、入母屋造の本殿と流造の屋根がかけられた拝殿の間に石の間(幣殿)が存在するという形式となっているが、昭和期にこの幣殿に覆いがかけられ、3殿全てが室内でつながっているという造りになっている。
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