伊賀八幡宮
| 名称: | 伊賀八幡宮 |
| ふりがな: | いがはちまんぐう |
| 名称(棟): | 本殿、幣殿、拝殿 |
| 名称(ふりがな): | ほんでん、へいでん、はいでん |
| 番号: | 0904 |
| 種別1: | 近世以前/神社 |
| 国宝重文区分: | 重要文化財 |
| 指定年月日: | 1933.01.23(昭和8.01.23) |
| 員数(数): | 1 |
| 員数(単位): | 棟 |
| 代表都道府県: | 愛知県 |
| 都道府県: | 愛知県岡崎市伊賀町 |
| 所有者名: | |
| 指定基準: | |
| 管理団体名: | |
| 管理団体住所: | |
| 管理団体指定年月日: | |
| 構造形式: | 本殿 三間社流造、檜皮葺 幣殿 桁行二間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺 拝殿 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、正面裾破風付、向拝一間、 檜皮葺 |
| 時代区分: | 江戸前期 |
| 年代: | 寛永13(1636) |
| 解説文: |
伊賀八幡宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/06 13:55 UTC 版)
| 伊賀八幡宮 | |
|---|---|
| 随身門(国の重要文化財) |
|
| 所在地 | 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86 |
| 位置 | 北緯34度58分17.15秒 東経137度9分52.82秒 / 北緯34.9714306度 東経137.1646722度座標: 北緯34度58分17.15秒 東経137度9分52.82秒 / 北緯34.9714306度 東経137.1646722度 |
| 主祭神 | 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現 |
| 社格等 | 旧県社 |
| 創建 | 文明2年(1470年) |
| 本殿の様式 | 権現造 |
| 例祭 | 10月第1土曜・日曜 |
| 地図 | |
伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社。
概要
歴史
文明2年(1470年)、松平親忠が、松平氏の氏神として社(やしろ)を伊賀国より現在の地に移した。これが伊賀八幡宮の始まりとされる[2]。
天文4年(1535年)の井田野の戦いでは、松平広忠が伊賀八幡宮で戦勝祈願を行い、社殿を造営し、弓矢を奉納していている[3][4]。
その後、慶長年間に徳川家康によって社殿の改築が行われた。さらに三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた。江戸時代を通じ、家康の命日である4月17日に将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣習となった。
境内
- 本殿
- 慶長年間に徳川家康によって造営された。国の重要文化財である。
- 随身門
- 神域を守る随身を門の両側に安置する。同じく国の重要文化財である。
- 神橋(石橋)
- 同じく国の重要文化財だが、現在は渡ることはできない。
文化財
重要文化財
- 本殿、幣殿、拝殿、附、宮殿(くうでん)1基、棟札4枚
- 透塀
- 御供所
- 随身門
- 神橋
- 鳥居
岡崎市指定文化財
主な祭礼
- 月次祭(毎月1・15日)
- 武者的神事(大寒の日)
- 檜の的板に矢を射放ち、的板の割れ具合によって一年の豊凶を占う。
- 節分厄除祭(立春前日)
- 祈年祭(2月17日)
- 東照宮祭(4月17日)
- 茅の輪神事(6月晦日)
- 例大祭(10月第1土・日曜日)
- 新嘗祭(勤労感謝の日)
ギャラリー
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石鳥居
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拝殿
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随身門
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神橋
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御供所
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さざれ石
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家康行列の出陣式
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鳥居
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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