境内の整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 14:36 UTC 版)
実業家・茶人として知られる高橋義雄(箒庵)は護国寺の檀家総代を務め、大正から昭和初期にかけて境内の整備を行った。芝にあった松平不昧公の墓所が関東大震災で被害を受け、区画整理の関係もあって松江への移転が検討されているのを知り、護国寺への移転を実現させた。また園城寺(滋賀)にあった月光殿を実業家原六郎(明治財界五人男の1人)から譲り受け、本堂の西側に移築した。その他、5つの茶室、多宝塔(石山寺の多宝塔がモデル)、不老門(鞍馬寺にある由岐神社拝殿がモデル)を建設した。これ以後、月光殿や茶室を利用して護国寺で大規模な茶会が開催されるようになった。
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