国の特別名勝・史跡
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庭園 - 特別名勝および史跡の指定範囲は、前庭と方丈裏庭。前庭は、勅使門から放生池を経て法堂に至る境内中心部を指す。方丈裏庭は曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭。
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国の特別名勝・史跡
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浄瑠璃寺庭園 庭園については「浄瑠璃寺流記事」の久安6年1150年に池の掘削や石を立てる記述が最も古く、その後元久2年1205年や応永17年1410年にも池の補修や浚渫を行った記述が見られる。寛永2年1625年に編纂された「浄瑠璃寺縁起」が寺の復興の勧進に用いられたことから池の浚渫も行われたと考えられるが、それ以後池の浚渫の記録は見られず、昭和時代には池水は著しく汚濁していた。この状態を改善すべく境内の整備を目的に昭和50年1975年から発掘調査と整備事業が行われた。池の中島はこの調査の前は檜が林立し馬酔木が茂っていたが、発掘調査ではその下から「丸石を敷き詰めた州浜」の遺構が見つかり、昭和51年に発掘調査に基づいた整備が行われ、昭和60年1985年に特別名勝に指定された。この整備後30年以上が経過し、庭園の荒廃や州浜の毀損が目立つようになり平成22年から再度発掘調査と保存修理事業が行われた。この工事では「昭和整備完成時の姿の回復を目指しつつ、発掘調査において作庭時の姿に関する新たな知見が得られた場合には、庭園構造や利用形態の変遷にも留意しながら、可能な範囲で復元的整備に努める」ことを目標として、池の浚渫と中島の整備、池周囲の護岸の修理、樹木の伐採および移植、参道や園路の修理、一部の建物の整備修理などが実施された。
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