郷社への昇格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/17 14:30 UTC 版)
昭和に入って国家神道の統制が強化される中、昭和11年(1936年)に班渓神社が村社に公認されると、芦別村には2つの村社が併存することになった。蘆別神社としては郷社の昇格を果たすことで、2社併存を解消しようと考えた。 昭和15年(1940年)は皇紀2600年の節目であり、日本中で記念行事が営まれた。折りしも芦別村では翌年から芦別町に昇格することが決まり、これを契機として昭和15年2月11日(紀元節)に郷社申請することを決定した。氏子は郷社の基準を満たすために境内の整備を行い、実際に出願に至ったのは6月だった。 北海道では開基以来、無許可の新神社設立には寛容な方針だったが、公認神社の昇格には様々な厳しい基準や審査を設けていた。出願から約9ヶ月を経て、蘆別神社が受けた回答は次のようなものだった。(1)本殿を改築すること(2)これにあたっては現状では一体となっている本殿と幣殿を別棟とすること(3)これらを新築の玉垣や透塀で囲い、然るべき厳粛な装いとすること。 これを受け、氏子総会で出資を議決して昭和17年(1942年)の夏に新社殿・幣殿の落成をみた。8月26日に再出願を果たすが、この際に「9月12日の例大祭に間に合うよう」早期の許可を願い出たところ、9月3日に許可となり、郷社に列格となった。同時に神饌幣帛料供進社となり、例祭に公費が支給されることになった。この年の秋季例大祭は昇格を兼ねた大祭となった。この頃の人口は約4000世帯、約20000人である。
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