郷社三之宮神社古文書伝来之記
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「椿井文書」の記事における「郷社三之宮神社古文書伝来之記」の解説
1911年、三宅源治郎が「郷社三之宮神社古文書伝来之記」にて書き記した1888年頃三宅が三松俊季から聴いた伝聞によれば(馬部 2005a, p. 103)、明治二一年(1888年)二月、三之宮神社神職三松俊季は朱智神社の中川政勝から山城国相楽郡木津町の今井良久宅所有の近江、山城、丹波、河内四ヶ国の大量古文書の中に三之宮神社の古文書類があると聞いた(馬部 2005a, pp. 103–104)。 それらは興福寺の侍・椿井権之丞が維新の頃興福寺秘庫の古文書を持ち出し自家に秘蔵し、 一家零落して明治八年(1875年)頃木津の今井良政へ質入れされたもので、一家滅亡の後所有権が今井家へ移ったという。 椿井権之丞が維新の頃興福寺から持ち出した古文書を遺族が1875年頃質入れした先であると伝えられていたのは今井良政、 1888年三之宮神社古文書類を所持し中川政勝の仲介で三之宮神社三松が三宅と共に閲覧に向かった先は今井良久、その後三宅達が購入資金調達に奔走し 1895年三之宮神社の古文書類を買い求めに行った先は今井良政と「郷社三之宮神社古文書伝来之記」では記録されている。 馬部は椿井権之丞が維新の頃興福寺から持ち出した古文書とは実は椿井政隆(1770年~ 1837年)が偽作した椿井文書で、今井家が販売したのはそれであろうと考えた。 「郷社三之宮神社古文書伝来之記」……は先述の三宅源治郎政隆によって明治四四年(一九一一)五月に記されたもので……要約する。明治二一年二月、三之宮神社神職三松俊季は中川政勝なる人物から、山城国相楽郡木津町の名家今井良久が所持する近江・山城・丹波・河内四ヶ国に亙る大量の古文書中に、三之宮神社関係の史料が存在することを聞く。……資金調達の活動を続けるも、ままならず明治二八年一一月を迎える。この折、三松氏の日頃からの熱弁に三宅源治郎は動かされ、穂谷氏子惣代上武庄太郎を誘い、三松氏と三人で木津の今井家へ向かうのである。……明治二八年に三宅源治郎らが木津の今井家から購入し、二九年に奉納されたものなのである。 — 馬部隆弘、(馬部 2005a, p. 104) 如此書類を同家(今井家)に所持するの所謂を取調しに、相楽郡狛村之内字椿井と云ふ処に椿井権之丞なる郷士(南朝三代の朝廷に仕へた奉り勤王の忠を励みたる家柄なり)有りて、維新以前迄は南都興福寺の侍なりしか、維新の際如何成訳か知るに由なけれ共、同寺宝庫に秘蔵せられし古文書類を長持に二棹斗りを持ち出し自家に秘蔵せしか、諸家は維新後家禄を奉還し次第に零落しける程に、明治七・八年の頃に至りては所有之土地家屋は更なり、家財全部を売却し漸く其日之生計を営むといふ迄に零落しければ、今は何夫れ彼夫れ金に代へ得らるゝ品は悉く是を売却しける程に、遂に彼の大切成古文書も今井良政氏へ入質し其後是を受け出す能はす。如此にて椿井家は一家没落の時来りしにや。家族も次第に死に失せて遂に一家滅亡の不幸にそ陥りける。如上の仕合にて諸古文書も全く今井氏の所有に帰したり。 — 三宅源治郎、(馬部 2005a, p. 107)
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