郷社三之宮神社古文書伝来之記とは? わかりやすく解説

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郷社三之宮神社古文書伝来之記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 22:56 UTC 版)

椿井文書」の記事における「郷社三之宮神社古文書伝来之記」の解説

1911年三宅源治郎が「郷社三之宮神社古文書伝来之記」にて書き記した1888年三宅三松俊季から聴いた伝聞によれば(馬部 2005a, p. 103)、明治二一年(1888年)二月三之宮神社神職三松俊季は朱智神社中川政勝から山城国相楽郡木津町今井良久宅所有近江山城丹波河内四ヶ国の大量古文書中に三之宮神社古文書類があると聞いた(馬部 2005a, pp. 103104)。 それらは興福寺の侍・椿井之丞が維新の頃興福寺秘庫の古文書持ち出し自家秘蔵し、 一家零落して明治八年(1875年)頃木津今井良政へ質入れされたもので、一家滅亡の後所有権今井家移ったという。 椿井之丞が維新の頃興福寺から持ち出した古文書遺族1875年質入れした先であると伝えられていたのは今井良政、 1888年三之宮神社古文書類所持し中川政勝の仲介三之宮神社三松三宅と共に閲覧向かった先は今井良久、その後三宅達が購入資金調達奔走し 1895年三之宮神社古文書類買い求め行った先は今井良政と「郷社三之宮神社古文書伝来之記」では記録されている。 馬部椿井之丞が維新の頃興福寺から持ち出した古文書とは実は椿井政隆(1770年1837年)が偽作した椿井文書で、今井家販売したのはそれであろう考えた。 「郷社三之宮神社古文書伝来之記」……は先述三宅源治郎政隆によって明治四四年(一九一一)五月に記されたもので……要約する明治二一二月三之宮神社神職三松俊季は中川政勝なる人物から、山城国相楽郡木津町名家今井良久が所持する近江山城丹波河内四ヶ国に亙る大量古文書中に三之宮神社関係の史料存在することを聞く。……資金調達活動続けるも、ままならず明治二八一一月を迎える。この折、三松氏の日頃からの熱弁三宅源治郎動かされ穂谷氏子惣代上武庄太郎を誘い三松氏と三人木津今井家へ向かうのである。……明治二八年に三宅源治郎らが木津今井家から購入し二九年に奉納されたものなのである。 — 馬部隆弘、(馬部 2005a, p. 104) 如此書類同家(今井家)に所持する所謂取調しに、相楽郡之内字椿井と云ふ処に椿井之丞なる郷士(南朝三代朝廷仕へ奉り勤王の忠を励みたる家柄なり)有りて、維新以前迄は南都興福寺の侍なりしか、維新の際如何成訳か知るに由なけれ共、同寺宝庫に秘蔵せられし古文書類長持に二棹斗りを持ち出し自家秘蔵せしか、諸家維新後家禄奉還し次第零落しける程に明治七・八年の頃至りて所有土地家屋更なり家財全部売却し漸く其日生計を営むといふ迄に零落しければ、今は夫れ夫れ金に代へ得らるゝ品は悉く是を売却しける程に遂に彼の大切成古文書今井良政氏へ入質し其後是を受け出す能はす。如此にて椿井家は一家没落の時来りしにや。家族次第死に失せて遂に一家滅亡不幸にそ陥りける。如上仕合にて諸古文書も全く今井氏所有帰したり。 — 三宅源治郎、(馬部 2005a, p. 107)

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