曳山と屋台とは? わかりやすく解説

曳山と屋台(庵屋台)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:51 UTC 版)

福野夜高祭」の記事における「曳山と屋台(庵屋台)」の解説

曳山 4基ある曳山の内「横町」、「浦町・辰巳町」、「新町」の3基の曳山は、高岡御車山同じよう地車に鉾心柱)を立て花傘を付けた鉾山車で、上山下山二層構造からなり上山中央の鉾心柱の上部にはひげこといわれる竹籠付け、その周りカラフルな花びらを5個付けた割竹放射状広げた花傘鉾山で、鉾心柱)の先端には鉾留が付いており、本座といわれる御神体供えている。また横町曳山には相座人形としてからくり人形供えられている。もう1つの「上町・七津屋」の曳山は、富山県内では唯一ここだけの船鉾曳山で、高さは約5.3m、こちらも上山下山二層構造からなり上山には花傘ではなく入母屋造り唐破風屋根そなえた舟型形式曳山となっており、中に本座供える船首には翼長2.3mの中国想像上水難よけとされる木彫り(げき)が飾られ彫刻施され大きな船尾付いている。4基の曳山下山幔幕まんまく)が張られている山と戸帳の山がある。また車輪4輪大八車外車様式で、板車または輻車(やぐるまスポーク式〕)である。 曳山1939年昭和14年)に戦争影響で曳かれなくなったが、1973年昭和48年)に横町上町・七津屋の2基の曳山復活、その2005年平成17年)に浦町・辰巳町新町の2基の曳山復活し、翌2006年平成18年)の祭礼よりおよそ70年ぶりに4基すべて揃って巡行が行われている。 屋台庵屋台屋台庵屋台)は曳山保有する4町がそれぞれ持っており、すべての屋台曳山先導して巡行し庵唄を披露していたが、1952年昭和27年以降まったく曳き出されなくなったその後2006年平成18年)には、最も保存状態のよい上町・七津屋屋台1台のみを祭礼時曳き出し街頭展示し3日曳山出発式では福野庵唄保存会が庵唄を披露したが、担ぎ手などの人手不足などから曳山と共に巡行することは出来ずにいた。しかし南砺市市制10周年迎え2014年平成26年)の祭礼より、曳山先導し曳き回す計画福野曳山保存振興会が発表し、庵唄の三味線、笛、太鼓演奏者唄い手等の若手育成にも力を入れ担い手確保目指すこととなった。 その上町・七津屋屋台庵屋台)は、長さ3.6m、幅2.7m、高さ3.6mの3層構造である。最上部には、外観内部とも精巧な家屋模型乗せられており、2層目は白漆塗られ欄間が、最下層部は格子巡らされている。また、屋台これまで人が担いで移動するものとなっていたが、屋台曳き回し復活にあたり上町・七津屋屋台には城端曳山祭庵屋台同じように4本の足に車輪取り付け移動負担軽減している。また、祭囃子や庵唄を演奏する庵唄保存会は、祭り屋台の中に入り移動しながら奏でるが、下層部には床がないので屋台移動合わせて歩きながら演奏する。なお残り3町の屋台は、現在保存状態悪く曳き出すことができない2014年平成26年5月3日本祭には、待望曳山先導して屋台巡行復活予定だった。しかし屋台蔵出し後、曳揃え場所の銀行四つ角まで移動させたが、突風により屋台屋根一部破損したため、これまでどおり曳山のみの巡行が行われた。なお曳山保存振興会は、屋根修理し来年以降巡行実現させたいとし、同年10月修理行い2015年平成27年)の本祭63年振り巡行加わった

※この「曳山と屋台(庵屋台)」の解説は、「福野夜高祭」の解説の一部です。
「曳山と屋台(庵屋台)」を含む「福野夜高祭」の記事については、「福野夜高祭」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「曳山と屋台」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「曳山と屋台」の関連用語

曳山と屋台のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曳山と屋台のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福野夜高祭 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS