曳山と屋台(庵屋台)
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曳山 4基ある曳山の内「横町」、「浦町・辰巳町」、「新町」の3基の曳山は、高岡御車山と同じように地車に鉾柱(心柱)を立て花傘を付けた花鉾山車で、上山と下山の二層構造からなり、上山中央の鉾柱(心柱)の上部にはひげこといわれる竹籠を付け、その周りに菊のカラフルな花びらを5個付けた割竹を放射状に広げた花傘の鉾山で、鉾柱(心柱)の先端には鉾留が付いており、本座といわれる御神体を供えている。また横町の曳山には相座人形としてからくり人形が供えられている。もう1つの「上町・七津屋」の曳山は、富山県内では唯一ここだけの船鉾曳山で、高さは約5.3m、こちらも上山と下山の二層構造からなり、上山には花傘ではなく入母屋造り唐破風の屋根をそなえた舟型形式の曳山となっており、中に本座を供える。船首には翼長2.3mの中国の想像上の鳥で水難よけとされる木彫りの鷁(げき)が飾られ、彫刻が施された大きな梶が船尾に付いている。4基の曳山の下山は幔幕(まんまく)が張られている山と戸帳の山がある。また車輪は4輪の大八車(外車)様式で、板車または輻車(やぐるま〔スポーク式〕)である。 曳山は1939年(昭和14年)に戦争の影響で曳かれなくなったが、1973年(昭和48年)に横町と上町・七津屋の2基の曳山が復活、その2005年(平成17年)に浦町・辰巳町、新町の2基の曳山が復活し、翌2006年(平成18年)の祭礼よりおよそ70年ぶりに4基すべて揃っての巡行が行われている。 屋台(庵屋台) 屋台(庵屋台)は曳山を保有する4町がそれぞれ持っており、すべての屋台が曳山を先導して巡行し庵唄を披露していたが、1952年(昭和27年)以降まったく曳き出されなくなった。 その後2006年(平成18年)には、最も保存状態のよい上町・七津屋の屋台1台のみを祭礼時曳き出し街頭展示し、3日の曳山出発式では福野庵唄保存会が庵唄を披露したが、担ぎ手などの人手不足などから曳山と共に巡行することは出来ずにいた。しかし南砺市市制10周年を迎える2014年(平成26年)の祭礼より、曳山を先導し曳き回す計画を福野曳山保存振興会が発表し、庵唄の三味線、笛、太鼓の演奏者、唄い手等の若手育成にも力を入れ、担い手の確保も目指すこととなった。 その上町・七津屋の屋台(庵屋台)は、長さ3.6m、幅2.7m、高さ3.6mの3層構造である。最上部には、外観、内部とも精巧な家屋の模型が乗せられており、2層目は白漆が塗られた欄間が、最下層部は格子が巡らされている。また、屋台はこれまで人が担いで移動するものとなっていたが、屋台曳き回し復活にあたり、上町・七津屋の屋台には城端曳山祭の庵屋台と同じように4本の足に車輪を取り付け移動の負担を軽減している。また、祭囃子や庵唄を演奏する庵唄保存会は、祭り屋台の中に入り移動しながら奏でるが、下層部には床がないので屋台の移動に合わせて歩きながら演奏する。なお残り3町の屋台は、現在保存状態が悪く曳き出すことができない。 2014年(平成26年)5月3日の本祭には、待望の曳山を先導しての屋台巡行復活の予定だった。しかし屋台蔵出し後、曳揃え場所の銀行四つ角まで移動させたが、突風により屋台の屋根の一部を破損したため、これまでどおり曳山のみの巡行が行われた。なお曳山保存振興会は、屋根を修理し来年以降巡行を実現させたいとし、同年10月に修理を行い、2015年(平成27年)の本祭で63年振りに巡行に加わった。
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