曳山・築山行事と放生会
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「放生津八幡宮」の記事における「曳山・築山行事と放生会」の解説
毎年10月1日には曳山神事、10月2日の例大祭には、境内にて古代信仰の形態である築山神事が行なわれる。放生津の曳山はこの築山神事を移動できるように発展させたものと考えられており、築山の起源はよくわかっていないが、江戸時代初期より行なわれていたことが1721年(享保6年)の「東八幡宮記録」や「築山古老伝記」に記録されている。また2014年(平成26年)9月には社務所で江戸時代中期の1764年(明和元年)の築山に使用された約2mの表具を施した祝詞の巻物が発見された。88行に渡り祝詞が記されている。なおこの行事は1982年(昭和57年)1月18日に富山県の無形民俗文化財に指定されている。また2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。その後2021年(令和3年)3月11日には、曳山・築山行事をあわせて「放生津八幡宮祭の曳山・築山行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定された。 9月30日夕方境内の高い松の木に神霊を海よりお迎えする魂迎式(御魂祭)が行われる。10月2日の例大祭には境内の高い松の木の西面に、幅7.2m、奥行3.6m、高さ2.7m上下2段の雛壇様式の臨時の築山(祭壇)を設け、下段の四隅には、それぞれ面をつけた仏門守護の四天王、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん)を配し、上段中央には唐破風屋根の神殿の上に鬼女(狂女)の面に白髪を振り乱し、金襴の内掛けをはおり、御幣を取付けた長い竹竿を持った主神である姥神(オンババともいわれる)を祀る。また毎年「飾人形」といわれる越中にゆかりのある人物人形も飾られ、神霊を松の木より築山に迎え入れ神事が行われる。また社殿ではこの地区の地名の由来となった放生会が行われる。なお築山行事が終わると姥神が暴れるとされる言い伝えにより、築山は大急ぎで解体される。放生会は2007年(平成19年)に、「とやまの文化財百選(とやまの年中行事百選部門)」に選定されている。 この築山行事は能登にある石動山(せきどうざん又はいするぎやま)の伊須流岐比古(いするぎひこ)神社でも行なわれていたが明治期に廃絶、富山県内でもここ放生津八幡宮と、明治期に休止となり1956年(昭和31年)より復活し、富山県の無形民俗文化財に指定されている、高岡市の二上射水神社で行われているだけであり、全国的にも珍しい行事である。なお3ケ所の主神の見た目から、放生津の「足なし」、二上山の「手なし」、石動山の「口なし」と云われてきた。 2021年(令和3年)9月には、国の重要無形民俗文化財指定を受け、放生津八幡宮境内に、高さと幅が約2m、奥行きが約1mで、下部は築山の祭壇、上部には曳山の車輪をかたどった記念の石碑が建てられた。
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