曳山の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 09:20 UTC 版)
江戸時代中期以降祭礼の主役となった曳山(地元では一般に「ヤマ」と称す)は、二層露天構造の作り山で、御所車四輪、非解体式(ふだんは各町内の山倉に収蔵)。現在17町内で16基の曳山を伝えており、いずれも甲賀市の有形民俗文化財に指定されている。水口曳山祭では例年その中の5基から8基程度が奉納される。 基本的には白木造で、正面に向拝をもち上層部に庇や破風をめぐらし、彫刻で飾るなどさながら動く社殿の趣がある。江戸時代後期には現在の構造形式に近い姿を完成していたと推測されるが、旅籠町の曳山のように向拝や破風をもたず、前後の意匠にほとんど違いのないものを「重箱山」と呼び、これが古い形とされる。現存する曳山の大半は江戸時代後期後半から幕末にかけて建造されたもので、この構造形式をもつものとしてはおそらく2代目にあたると思われる。現存するものより古い時期の曳山と考えられるものが三重県亀山市(関町)など近隣に売却され現存しているが、それらは車台部分と屋台部分が構造的に分かれており、心棒を軸として屋台部分が回転する構造になっている。水口に現存する「重箱山」は回転の構造はないが、前代の意匠を引き継いだものと考えられる。屋台部が回転する構造は関東地方に現存する江戸型山車にも見られるもので、後述する江戸系ともされる水口囃子の存在とあわせて注意を要する。 曳山の巡行は前テコ・後テコ・端テコと曳綱を使用して動きを制御し、とくに辻などでの方向転換では、前テコで曳山を傾ける間に曳山の下部に突きだした芯棒(重心になる)に枕をかいこみ、全車輪を浮かせて人力で回転させる。この方法をギリ廻しと呼び、近江国内では水口および同構造の日野曳山祭に見られる。
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