晩年:最後の映画出演と死去とは? わかりやすく解説

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晩年:最後の映画出演と死去

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:29 UTC 版)

青木鶴子」の記事における「晩年:最後の映画出演と死去」の解説

洲の帰国後、鶴子自由が丘の家があまりにも狭く洲を迎え入れる住まいとしてふさわしくない思い千葉県市川市大きな借家移住した。それからの4、5年間一家は最も穏やかな日々過ごした手記によると、市川自宅は駅から30分ほどのところにあり、どこへ出かけるにも自転車を使う必要があったため、親子自転車相乗りして駅まで行き子供自転車乗せてもらってそっくり返っている洲の姿を見て、「私はなんともいえないユーモアと、そしてほんとうに日本にも平和がきたなと思った」という。1953年頃までには再び渋谷区代々木初台にある元軍人邸宅移住したが、この家は洲が鶴子に迷惑をかけたお詫び購入したのだった。しかし、洲の女性問題絶えず、また雪夫1954年結婚して独立したこともあり、鶴子時折襲ってくる寂しさ紛らわせるため、頻繁にパチンコ店へ通うようになった1960年鶴子ハリウッド映画会社から『戦場永遠に英語版)』の出演依頼受けた。この作品第二次世界大戦中日系人の強制収容サイパンの戦い題材にした物語で、鶴子の役はジェフリー・ハンター演じ主人公孤児少年だった時に、彼を引き取って育てた日系人女性だった。鶴子35年以上も映画出演していなかったが、監督のフィル・カーソン(英語版)の妻がサイレント時代からの鶴子ファンで、「この役はツルしかできない」と強く推したことで起用実現したという。この作品には洲も日本軍司令官役で出演したが、鶴子の方が重要な役であり、撮影期間鶴子の方が長期になった。そのため、それまで長らく洲を撮影現場送り出す立場にいた鶴子は、今度自分洲より先にハリウッドへ向かった同年3月末、鶴子36年ぶりにハリウッドスタジオ入った鶴子銀幕復帰アメリカで報じられ街を歩く鶴子の顔を覚えていたパラマウント・ピクチャーズの元守衛老人呼び止められたり、ユニバーサル時代電気係と再会したりするなど、旧知の人たちとの再会愉快な日々過ごした撮影45日間行われ鶴子にはメイクアップ結髪師、衣装係の3人が付きっきり世話をしてくれた。撮影が終わると、監督たちは鶴子のためにセット送別会開いてくれ、監督に「ぜひまた君を必要としたときにはきてくれないか」と誘われたが、鶴子は「これがいい映画であればあるほど、私の映画生活のジ・エンド・マークにしようとおもっています」と返答した鳥海は、この作品鶴子演技には「アメリカで生きる日系人リアリティ」を感じ、「排日感情強かったころのアメリカをじかに体験しているだけに、戦時中日系人心のうち巧みに表現していた」と評している。 帰国後、鶴子は『婦人倶楽部5-7月号に手記「ある国際女優半生 私は早川雪洲の妻」を連載した。翌1961年1月にはルースが再び相手50ドル請求する父権認知訴訟起こしたが、鶴子1931年裁判時の書類保管していたおかげで訴訟決着をつけることができた。その後鶴子腹痛訴えて関東中央病院入院したが、子宮の手術をしたあとに容態急変し10月18日午後3時20分に急性腹膜炎のため71歳亡くなった告別式10月24日青山葬儀所行われ11月2日には旧友30人参加した内輪追悼が行われた。戒名は早證院浄誉善教大姉で、松陰神社境内霊園に墓が建立された。それから12年後1973年11月洲も亡くなり鶴子と同じ墓に入った

※この「晩年:最後の映画出演と死去」の解説は、「青木鶴子」の解説の一部です。
「晩年:最後の映画出演と死去」を含む「青木鶴子」の記事については、「青木鶴子」の概要を参照ください。

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