銀幕復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:46 UTC 版)
「ジュディ・ガーランド」の記事における「銀幕復帰」の解説
1954年、ワーナー・ブラザースで撮影された『スタア誕生』で久々の映画出演を果たす。この作品は大ヒットし、ジュディはゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。そしてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。しかしワーナー・ブラザースは、撮影中の遅刻や出勤拒否、それに伴う制作費の増大を問題視し、彼女の受賞のための宣伝や根回しを一切行わなかったほか、授賞式前に「彼女ではもう二度と映画は撮らない」と宣言した。結局、主演女優賞は『喝采』のグレース・ケリーが受賞し、ジュディの受賞はならなかった。受賞を逃した失意により、彼女の私生活は再び荒れはじめ、数度の自殺未遂を起こしている。 サミー・デイヴィスJr.は自伝の中で「何故あの時ジュディが敗れたのか、どうしてもわからなかった。誰かが彼女を罰しようとしたのだ」と記している。 1961年、彼女は7年ぶりに大作『ニュールンベルグ裁判』で映画に出演。バート・ランカスターやマレーネ・ディートリヒと共演し、変わらぬ演技力を見せてアカデミー助演女優賞にノミネートされた。 また、同年行ったカーネギー・ホールでのコンサートは「ショービジネス最高の一夜」と称され、収録した『ジュディ・アット・カーネギー・ホール(英語版)』はグラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞。ジュディ自身も最優秀女性歌唱賞を受賞する。 だがその後、薬物中毒と神経症はさらに悪化。逮捕されることはなかったものの、FBIはジュディを監視しており、膨大なFBIの監視記録が残されている。
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