銀幕へのデビュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:54 UTC 版)
「アントニー・ドロン」の記事における「銀幕へのデビュー」の解説
アントニーはアメリカ・ニューヨークへ移り、ポップアート芸術家のアンディ・ウォーホル、ファッションデザイナーのダイアン・フォン・ファステンバーグ、女優のブルック・シールズ等、様々なアーティストと交友を深め、充実した生活を送る。そしてイタリア人映画監督のアルベルト・ラットゥアーダと出会い、映画『心の棘』の撮影のためにローマへ渡る。翌年、映画『予告された殺人の記録』がカンヌ国際映画祭に出品される。この作品は南米や東ヨーロッパ等で成功を収めたものの、母国フランスでは父アランとの比較に終始された。 24歳のときにロサンゼルスへ移り、ユタ州にいた母ナタリーと再会する。ロサンゼルスで演技指導を受ける傍ら、フランスでのビジネスを続ける。その後パリへ戻るが、フランス映画界では父アランの存在が大きく、アントニーは俳優として認められずに苦労する。 33歳のときに映画『原色パリ図鑑』にモーリス役で主演を務め、映画は大成功を収める。アントニーは俳優としてテレビや舞台で活躍を続ける。
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