ロサンゼルスへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 02:13 UTC 版)
「ミッキー・コーエン」の記事における「ロサンゼルスへ」の解説
こうしてコーエンはカリフォルニア州に舞い戻った。1947年にシーゲルが殺されたときは、下手人たちが潜んでいる(とコーエンは信じていた)ルーズヴェルト・ホテルに飛び込むと、45口径のセミオートマチック拳銃を二挺とりだしてロビーの天井に向けて乱射し、「10分以内に表へ出て来い。ツラを貸せ」と要求したが、誰も出てくる者はいなかった。警察が現場に到着すると、コーエンはほうほうのていで逃げ出した。 ロサンゼルスの犯罪シンジケートがドラグナ犯罪一家のフランク・カーボに掌握された後も、コーエンはカーボの下で賭場を支配しつづけた。しかしコーエンの暴力的なやり方が州と連邦政府の注意を惹いた。こうしてドラグナ犯罪一家は捜査の対象となった。このころ、コーエンはたびたび命を狙われ、自宅を爆破されたこともある。警戒した彼は要塞のごとく警備厳重な家(投光照明や警報システムから兵器庫まで備えていた)に移った。 このとき用心棒として雇われたのはジョニー・ストンパナートだが、ストンパナートは間もなく情婦ラナ・ターナーの娘シェリル・クレインに殺されてしまった。ストンパナートの葬儀費用はコーエンが負担したものの、コーエンが買ったのは安物の棺だけ。そしてラナ・ターナーがストンパナートに送ったラブレターは、抜け目ないコーエンが新聞社に売ってしまった。
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