ロサンゼルスでのスタート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:12 UTC 版)
「スパークス (バンド)」の記事における「ロサンゼルスでのスタート」の解説
ロン・メイル(Ron Mael、本名:ロナルド・デヴィッド・メイル Ronald David Mael、1948年8月12日 - )とラッセル・メイル(Russell Mael、1953年 or 1948年10月5日 - )のメイル兄弟はカリフォルニア州ロサンゼルス郡西部のパシフック・パリサデス(Pacific Palisades)で育った。当時はLAクラブ・シーンの「黄金時代」で、ドアーズ、ラヴ、ザ・スタンデルズ(The Standells)らがサンセット・ストリップ(Sunset Strip)のウィスキー・ア・ゴーゴーで定期的にプレイし、ザ・ビーチ・ボーイズも「Teenage Fair」の午後のイベントで演奏していた。当時のロンとラッセルの姿は、ロック映画『Big TNT Show』(1966年) の中のザ・ロネッツの観客の中に見ることができる。ともにカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に進み、ロンは映画とグラフィック・アートを、ラッセルは舞台美術と映画製作を学んだ。フォーク・ミュージック・シーンが嫌いで、「感情より知性に訴え、真面目で、そんなものにかかわっている時間はない」 と思っていた。2人はザ・フー、シド・バレット時代のピンク・フロイド、キンクス、ザ・ムーブといった当時のイギリスのバンドに傾倒していき、2人は自分たちを「Anglophilias(英国びいき)」と言っている。 1968年、ロック評論家のジョン・メンデルスゾーン(ドラムス)とともにバンド「ハーフネルソン」を結成。ほどなくして、プロデューサーのトッド・ラングレンの目にとまった。ラングレンの説得でBearsville Recordsのアルバート・グロスマン(Albert Grossman)がハーフネルソンと契約した。ギターに大学の仲間のアール・マンキー、ベースにマンキーの弟ジェームズ・マンキーが加わり、ドラムはハーレー・ファインスタインに交代して、ラングレンのプロデュースでアルバム『ハーフネルソン』を発表。売り上げは悪かったが、ワーナー・ブラザース・レコードへの移籍が決まり、バンド名もマルクス兄弟をもじって「スパークス」に改名した。デビュー・アルバムはスパークス名義で再発売され(『ファースト』)、そこから「Wonder Girl」という地域限定のマイナー・ヒットが生まれた。 続いて制作されたアルバム『ウーファー・イン・トゥイーターズ・クロージング』(1972年)でイギリス・ツアーが決まった。ロンドンのマーキー(Marquee Club)では、演奏中やじが多かったにもかかわらず、多くのカルト的ファンを獲得した。BBCテレビの『Old Grey Whistle Test』の出演は、番組ホストのボブ・ハリス(Bob Harris)の冷ややかな反応にもかかわらず、イギリス中から広く注目された。
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