晩年期の活動
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翌1938年(民国27年)1月30日、冀東防共自治政府は王克敏が率いる中華民国臨時政府に併合され、領域は河北省に編入された。池は2月5日に行政委員会参議(特任官)に起用され、さらに4月には北支産金株式会社の子会社・河北採金有限股份公司で董事長となっている。汪兆銘政権でも1945年(民国34年)5月に労工協会理事長を務めた。 日本敗北後の1945年(民国34年)12月5日、池宗墨は狂人を装うも虚しく潜伏先の北平で逮捕されている。まもなく国民政府から審問を受け、池は漢奸の罪により極刑の判決を下されたが、実際には国民政府統治下での執行は無かった。中華人民共和国成立後の1951年5月20日、北京市人民政府から改めて反革命罪などで死刑判決を言い渡され、直ちに執行された。享年62。
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