旧黒澤家住宅(旧所在 秋田県秋田市中通三丁目)
名称: | 旧黒澤家住宅(旧所在 秋田県秋田市中通三丁目) |
ふりがな: | きゅうくろさわけじゅうたく |
名称(棟): | 主屋 |
名称(ふりがな): | おもや |
番号: | 2213 |
種別1: | 近世以前/住宅 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1989.05.19(平成1.05.19) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 秋田県 |
都道府県: | 秋田県秋田市楢山字石塚谷地297-99 |
所有者名: | 秋田市 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 書院 桁行10.3m、梁間11.4m、一重、切妻造、妻入、四周庇付、 東南面隅玄関・便所附属、北面小座突出 3.6m、梁間7.2m、 一重、北面切妻造 台所 桁行9.5m、梁間5.5m、一重、西面切妻造、東面小座に接続、 西面庇付 総こけら葺 |
時代区分: | 江戸中期 |
年代: | 18世紀前半 |
解説文: | 秋田久保田藩の上級武士住宅遺構で、久保田城三の廓の東根小屋中丁(現中通り)に所在していたが、昭和六十三年に現在地の「一つ森公園」内に屋敷構え全体をそっくり移築した。黒澤氏がこの住宅に移ったのは文政十二年である。 道路に面して長屋門形式の表門を構え、庭をへだてて奥に主屋が建ち、主屋の背後に土蔵、米蔵、木小屋などが建つ。また敷地の東北隅に氏神堂があって、屋敷構えがよく整っている。主屋と表門は十八世紀前半の建築とみられるが附属屋は黒澤氏がこの屋敷に移ってから建てられた。 主屋は表側に玄関をもつ書院と、その背後に接続する台所から構成されており、上級武士住宅の形式をよくあらわしている。現存する武士住宅としては建築年代が古く、上質であり、附属屋をふくめて屋敷構え全体がそろっている点は特に貴重である。 |
旧黒澤家住宅(群馬県多野郡上野村)
名称: | 旧黒澤家住宅(群馬県多野郡上野村) |
ふりがな: | きゅうくろさわけじゅうたく |
名称(棟): | |
名称(ふりがな): | |
番号: | 1765 |
種別1: | 近世以前/民家 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1970.06.17(昭和45.06.17) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 群馬県 |
都道府県: | 群馬県多野郡上野村大字楢原200-9 |
所有者名: | 上野村 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 桁行21.8m、梁間15.9m、二階建、切妻造、正面及び背面庇付、板葺、 風呂場及び便所附属 |
時代区分: | 江戸末期 |
年代: | 江戸末期 |
解説文: | 黒澤家は代々の大庄屋であって、建物は三三〇平方メートル(一〇〇坪)を越える大きな板葺屋(現在瓦葺)で、貭、保存とも良い。 この家の特色は養蚕に使われた広い二階のあることで、養蚕農家の先駆的な実例としても貴重である。 |
旧黒澤家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/14 15:17 UTC 版)
旧黒澤家住宅
- 旧黒澤家住宅 (群馬県) - 群馬県多野郡上野村にある昭和45年の国指定重要文化財。
- 旧黒澤家住宅 (秋田県) - 秋田県秋田市にある平成元年の国指定重要文化財。
旧黒澤家住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 03:54 UTC 版)
久保田藩の500石取りの上級武士だった黒澤家の旧宅。江戸期を通じて芳賀家、赤田家、吉成家、平井家、黒澤家と、持ち主が変遷している。久保田城下の東根小屋町(現在の中通三丁目)に所在していたが、1985年(昭和60年)に黒澤家から秋田市へ寄付され、1988年(昭和63年)に本公園内に移築された。母屋、表門は18世紀前半の築、表門は長屋門形式である。氏神堂、米蔵、土蔵は19世紀の築。母屋のみならず、附設の表門、木小屋、土蔵等、屋敷の施設群が一体として良好な状態で残っていたことから、1989年(平成元年)に国の重要文化財に指定されている。建物は秋田市立佐竹史料館が管理している。
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