旧民法・明治民法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
「民法典論争とは、ボアソナードが作成した民法典をめぐる論争である」と定義されることがある。しかし、論争の対象となった明治23年法律第28・98号、いわゆる「旧民法」の内、最も激しく争われた家族法(98号)は磯部四郎ら日本人委員の起草である(#旧民法家族法の起草者)。 人事、相続、贈与と遺言、夫婦財産契約の部分は、もっぱら日本人法律家の作品です(その何人かは、幸いにも、パリの法学部、リヨンとディジョンの法学部の法学博士であります)。 — ボアソナード、パリ大学法学部長宛の手紙、1891年(明治24年) 人事編と相続編との二大事項に付きては未だ何等の法按(あん)の存せざりしを以て人事編は熊野敏三君をして起草せしめまた相続編は私が起草の命を奉じました、其案は定めて無茶苦茶なもので御座いましたらうが併(しか)し現行民法の相続編と大差なかりし様に思ひまして心窃(ひそ)かに光栄として喜んで居ります。 — 磯部四郎「民法編纂ノ由来ニ関スル記憶談」1913年(明治46年) したがって、全体を「ボアソナード民法」などと呼ぶのは誤りと批判されている。 もっとも、人事編(概ね親族法に相当)を始めとする家族法(身分法)草案についても、法史学者石井良助の主張によれば、ボアソナードの査閲を経て正稿になったと推測されることから、この呼称も全くの誤りではない。 しかし、原案の大修正を無視して、全体が彼の意思通りに成立したかの印象を与え、ミスリーディングだと批判される(中村菊男)。そこで、家族法起草はあくまで日本人主導と理解する立場(我妻、大久保泰甫)からは、「ボアソナード民法」を意識的に財産法に限定して指称される(本項では旧民法で統一)。 また旧民法の意味でボアソナード草案と言われることもあるが、天皇の同意を得て正式に公布された法律であり、かつ明治民法により廃止されるまで事実上施行されたのとほぼ同じ状態だったため、政府に採用されず廃案になったというのは誤りである。前述の富井発言の通り、法典調査会での呼称は「既成法典」。 一方、旧民法に代わって1898年(明治31年)に施行された新民法は、形式上は今なお現行法だが、財産法(明治29年法律第89号)は部分的修正に止まるのに対し、家族法(明治31年法律第9号)は戦後根本的に修正されたため(#民法典論争延長戦の決着)、文脈によっては昭和22年改正法との対比の意味で改正前の条文を「旧民法」と呼ぶこともある(本項では明治民法で統一)。
※この「旧民法・明治民法」の解説は、「民法典論争」の解説の一部です。
「旧民法・明治民法」を含む「民法典論争」の記事については、「民法典論争」の概要を参照ください。
- 旧民法明治民法のページへのリンク