富井
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 02:16 UTC 版)
上富井(かみとみい)・東富井(ひがしとみい)・西富井(にしとみい)からなる。倉敷市中心市街地西南郊外にあり、大高地域の西南部を占める。明治初期までは窪屋郡富井村(とみいそん)と称していた。廃川となった旧東高梁川の東岸地域にあたる。 古くは海域であったが、中世後期に宇喜多秀家の干拓による前述の四十瀬ができたことにより、当時の東高梁川河口付近に自然堤防が生まれた。この周辺を寛永8年に備前岡山藩が新田開発し、窪屋郡埋川新田村とした。寛永9年の国替えを経て寛文12年に鴨方藩が置かれると、その所領となった。その後、埋川村(うめかわそん)に改称し、石高193石9斗8升の記録がある。 一方、前述の四十瀬村の沖を元和年間に干拓して四十瀬前新田村(しじゅうせまえしんでんそん)とし、続いて寛永6年にさらにその沖を開発し、四十瀬外新田村(しじゅうせそとしんでんそん)とした。ともに備前岡山藩の所領であったが、寛文12年に鴨方藩が創立されると鴨方藩領に移り、両村を併せて四十瀬新田村(しじゅうせしんでんそん)となった。幕末の最終石高は、1027石8斗との記録がある。 明治9年に隣接する埋川村と四十瀬新田村が合併し、富井村となった。その後倉敷市となると、旧埋川を上富井、旧四十瀬新田を東西に分け西富井・東富井とし、3つの地域に区分けされ、現在に至っている。 富井のほぼ中央部、西富井・東富井の北部と上富井の南西端を東西に国道2号バイパスが通過しており、東端部を南北に岡山県道274号福田老松線が通過している。また西端部を南北に水島臨海鉄道が通り、西富井駅がある。さらに並行するように、その西方の中島地区を南北を岡山県道188号水島港線が通過している。このように、他の大高地域と同様に大型幹線道路に囲まれていることから農村部は減少し宅地化が進行、道路沿いにはロードサイド店舗が並ぶ郊外型の市街地となっている。
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富井
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『眠りの森』、『祈りの幕が下りる時』に登場。警視庁捜査一課勤務・加賀の上司。
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