日米関係への姿勢
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鈴木の就任後、まもなく死亡したアメリカ大統領ルーズベルトの訃報を知ると、同盟通信社の短波放送により、 今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。 — 内閣総理大臣 鈴木貫太郎 という談話を、世界へ発信している。1945年4月23日のTIME誌の記事では、以下のように発言が引用されている。 「 I must admit that Roosevelt's leadership has been very effective and has been responsible for the Americans' advantageous position today. For that reason I can easily understand the great loss his passing means to the American people and my profound sympathy goes to them.翻訳:大日本帝国としては、ルーズベルト大統領のリーダーシップが優れており、それが現在のアメリカ優勢の戦況をもたらしていることを認めざるを得ません。よって彼の死去はアメリカ人にとって大きな損失であることを理解し、これに哀悼の意を表します。 」 同じ頃、同盟国であるドイツ総統アドルフ・ヒトラーも敗北寸前だったが、ラジオ放送でルーズベルトを口汚く罵っていた。アメリカに亡命していたドイツ人作家トーマス・マンが鈴木のこの放送に深く感動し、イギリスBBCで「ドイツ国民の皆さん、東洋の国・日本には、なお騎士道精神があり、人間の死への深い敬意と品位が確固として存する。鈴木首相の高らかな精神に比べ、あなたたちドイツ人は恥ずかしくないですか」と声明を発表するなど、鈴木の談話は戦時下の世界に感銘を与えた。 戦局が悪化し決戦態勢構築が進められていた1945年(昭和20年)6月9日、貴族院および衆議院本会議の演説で、鈴木は徹底抗戦への心構えを述べる中でアメリカの「非道」に触れるに際し、1918年(大正7年)のサンフランシスコ訪問時に「太平洋は名の如く平和の洋にして日米交易のために天の与えたる恩恵である、もしこれを軍隊搬送のために用うるが如きことあらば、必ずや両国ともに天罰を受くべしと警告した」というエピソードを紹介した。 2日後の衆議院の委員会で、質問に立った小山亮から「国民は詔勅にある『天佑』を信じて戦いに赴いているのであり、天罰を受けるなどという考えは毛頭持っていないだろう」として、演説での発言が国民に悪影響を与えるのではないかという疑念を打ち消すような釈明を求められた。これに対する鈴木の答弁(発言を後から取り消したため会議録では抹消されている)に議場は紛糾し、その後の再度の鈴木の釈明に「これでは内閣に信を置けない」として、小山は質問を打ち切り、退席する事態となった(天罰発言事件)。 議会召集に最初から反対していた和平派の海軍大臣・米内光政は、内閣を反逆者扱いする議会に反発して、閉会を主張するとともに辞意を表明、内閣は瓦解の危機に瀕した。抗戦派と目された陸軍大臣・阿南惟幾は、鈴木とともに米内を説得し、内閣瓦解をなんとか防いだ。 この鈴木の国会演説に関して半藤一利は、鈴木が日本の立場(平和を愛する天皇と国家)を訴えて、連合国の無条件降伏の主張を変えさせることが目的だったと記している。これに対し保阪正康は、鈴木の意図は天皇との暗黙の了解のもと、議会に真意を汲ませて和平へと国論を向ける助力とすることにあったと述べている。
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