日本生命球場
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日本生命球場(にほんせいめいきゅうじょう、Nippon Life Insurance Baseball Stadium、1950年 - 1997年)は、かつて大阪府大阪市中央区森ノ宮中央二丁目1-55にあった野球場で、名称の通り日本生命保険(日生)が所有し、日生が10%を出資する関連会社の株式会社日本生命球場が運営していた[3]。通称は「日生球場」(にっせいきゅうじょう)。
注釈
- ^ また、東大阪市にある大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)のグラウンドの敷地跡地(今の花園中央公園に当たる場所)に野球場を整備する計画もあった。
- ^ その経緯もあり、近鉄はナゴヤ球場で年間数試合を主催していた。ナゴヤドームに移転してからも1999年まで行っていた。
- ^ 本来近鉄主管の順番となるオールスターゲームは、南海に開催権を譲渡して大阪球場で開催した。
- ^ ただし、1975年のプレーオフは藤井寺球場で行われ、仮に近鉄が日本シリーズに出場した場合も藤井寺球場で開催予定だった。
- ^ 大会自体の最後かつ関東以外での唯一の開催でもあった。
- ^ 近大は秋季リーグ戦、明治神宮大会も優勝して史上初で最後となる5冠を達成
- ^ ナゴヤ球場、平和台球場における最後のプレー経験者でもある。
- ^ 1996年12月には大阪市営地下鉄(当時)長堀鶴見緑地線も京橋駅~心斎橋駅間の延伸に伴って森ノ宮駅に乗り入れている。
出典
- ^ a b c d e f g 『官報』号外第114号94ページ「清算決算公告 清算確定時貸借対照表の要旨」1998年(平成10年)6月9日
- ^ 『官報』号外第81号96ページ「第39期決算公告 貸借対照表の要旨」1998年(平成10年)4月14日
- ^ a b c 参考:関連会社等一覧表 - 1997年4月時点の日生公式サイトで発表された関連会社一覧(インターネットアーカイブ1998年2月5日付保存キャッシュ)。
- ^ 『官報』第2312号26ページ「解散公告(第一回)」1998年(平成10年)2月3日
- ^ 【名ショートBEST3 !!】 下柳が選ぶ“消えた天才”「最悪のセカンドならすぐ言える」 柳に風【下柳剛公式チャンネル】2022/03/11 (2022年3月21日閲覧)
- ^ 『アミューズメントBOOK '95 関西版』(1995年、京阪神エルマガジン社発行。ISBN 4874350194)
- ^ 『日生球場跡地に誕生する新スポット『もりのみやキューズモールBASE』 2015年4月27日(月)グランドオープン』(PDF)(プレスリリース)東急不動産、2015年2月5日 。2015年4月9日閲覧。
- ^ “太田幸司 「元祖・甲子園アイドル」人生、負けるが勝ち”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年9月15日). オリジナルの2013年8月28日時点におけるアーカイブ。
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